年輪の品格は素敵

先週のことです。
あまりに暑いのと、資料作成作業が続いて少し疲れ気味だったのと、言い訳をたくさんしながら、お寿司屋さんに行きました。
特上のにぎりセットを頼んでも、2500円~3000円のお寿司屋さんです。
もちろん、私が特上を頼んだりしたわけではありません。

そのお店は、こんな状況になる前から、ゆったりとした座席配置のお店で、お値段も前述したとおりなので、老若男女年齢層は幅広い。
その日、私の隣りの少し離れたテーブルには、おそらくは60代後半から70代前半かなというご夫婦がおいでになりました。
二人で仲良く料理をつまみながら、いくつか追加注文なさった後のこと、妻が席を立ちました。
一人になった夫が、お店の方に

「これを下げていただけますか。」

と穏やかな声でお願いしたのです。

あの年齢で、あんな丁寧なおしゃべりをする方が、ここ広島にもいるのねと、少し驚いて、それ以降なんとはなしに、その夫に注意がむいていました。
妻が帰ってきて、お酒が運ばれてきて、

「おめでとう!」

盃を上げて、妻がそう言うと、

「ありがとうございます。」

照れくさそうに、夫が答えます。

 

この光景に心が洗われるような気分でした。
二人とも、穏やかな声でお話しなさるのですが、とてもとても楽しそうです。
夫のお祝いに、少しだけ贅沢をしてお寿司屋さんに来たのでしょう。
ブランドの服やバッグで身を飾っているわけでもなく、ごく普通のスラックスとポロシャツのような恰好でしたが、そこはかとなく品格が漂います。

「年をとると、いろいろなことが顔に出る。
見た目も、年をとると本人の責任でもある。」

昔、年長の女性がよく言っていたことです。
それを思い出しました。

いつか私が、あのくらいの年齢になった時、あんな風に穏やかな品の良さを身につけられていたらいいと思います。
日々ありがたいと感謝しながら暮らせば、ああいう風になれるのでしょうか。
日々、できることを努力しながら暮らせば、ああなれるのかなあ。
なんにせよ、穏やかに暮らすとは、これ、究極の幸せだと思います。
本当に素敵でしたよ、あのご夫婦。

 

 

 

Webミーティング活用法

弊社事務所のあるビルは、11階建ての古いマンションです。
広島市の中心部へも歩いて行ける便利の良い場所にあるため、建設当初から住まわれている方々も少なくない、そんな建物です。
管理会社へ管理を全部委託するのではなく、積極的に管理組合が関与しているので、古いわりには、メンテナンスの行き届いた快適な建物だと思います。

では何が問題なのか。
自分たちの財産(マンションの区分所有権)を維持管理するための活動が、コロナ対策が必要になった昨今、なかなか思うようにいかないことでしょう。

大きな企業であれば、あるいはIT化に馴染みやすい方々ばかりであれば、

「なんだ、そんなの。
Web会議にすればいいじゃん。」

といとも簡単に切り替えられるでしょう。

ご存じのように、Web会議自体は、たいして難しいものではありません。
無料のアプリを借りて、主催者が設定すれば、ほかの人々は参加するだけです。

けれど、企業でもなく、IT化に馴染みやすい人々ばかりではない一般の小さなコミュニティでは、家にパソコンがないとか、インターネット回線がないとか、スマホを持っていないとか、そもそもITに抵抗があるとかが、まだまだあるのです。
そうなると、小さな部屋に理事が集まって討議する、旧来のスタイルを変えるのはとても難しい。

当分は解決しそうにない問題だとは思いますが、個人的には、ネット環境(従量制ではない環境)がある理事だけでも、自宅から理事会に参加できれば、人の密度が小さくなるのではと思います。
管理会社が主催したWeb会議に、理事会を開催するメイン会場と、自宅数か所をつなげば、実現できるのではと。
もしそうなれば、身体の調子が思わしくない方も、参加できる。
良いと思うのですが、ご理解を得るのには、なかなかハードルが高いものだなあと思うこの頃です。

 

 

meetingは大切です

 

テレワーク推奨の昨今、対面でのミーティングは難しい場合もあるでしょう。
けれど対面でしか、伝えにくいこと、伝わりにくいことも確かにあります。
今日はそれを実感したので、対面でのミーティングの在り方について、扱うことにします。

遠隔ミーティングの良いところは、言うまでもなく、場所を問わずに開催できることです。
自宅にいようと、出張先にいようと、本社のミーティングに参加できます。
お得意様との打ち合わせもまた然り。

「今、大阪にいるんですよ。
戻りは明日になりますので、明日午後ではご都合いかがでしょうか。」

こんな文句で、お客様との打ち合わせを約束していたのが、

「わかりました。
今から10分後に、PCのある場所へ行きます。」

となります。
お客様が連絡してくださる時、顕在的潜在的ニーズがたかまっているそのタイミングを逃さず、タイムリーに打ち合わせに入ることができる。
これはとても優れた点だと思います。

けれど、初対面の場合、そうはいかないのではないでしょうか。
相手の顔はおろか、ひととなりのひとかけらも知らず、いきなり画面に現れる画像と電気的な声とを相手に、緊張せずに話せるものでしょうか。

「この人はどんな人?
信頼できる人なの?」

信頼できるか否か、用心深く話を進めることでしょう。

ところが対面で打ち合わせをした場合、相対するその人の表情、しぐさ、言葉の選び方で、ある程度は「信頼できる人」が直感的に判断できるような気がします。

空気と言っても良い雰囲気、それを感じることができるのは、生の、リアルの強み。
言語外のコミュニケーション媒体が、直感を刺激してくれるのです。

今日、ある企業様にお願いして、対面での打ち合わせをさせていただきました。
参加してくださった皆様との間に、言語外の媒体による「一緒に頑張りましょう」の合意ができたような気がします。
一度お目にかかっておけば、Webミーティングの方がタイムリーに問題を解決できる場合もあるでしょう。
お国の方針に否やを言っているわけではありませんが、初対面のご挨拶は、やはり対面の方が良いと思ったことでした。

フェイスシールドをつけてみた

フェイスシールドを使ってみました。
使ったのは、これ。

山本光学のフェイスシールドLタイプです。
交換用シールド3枚とフレームのセットで、1380円でした。(ASUKUL購入)

使い心地は、思ったより快適です。
まず軽い。
眼鏡のフレームと同じ作りなので、髪も崩れません。
使い捨てのシールドは、しっかりしている割に軽くて、クリアです。
つけていることを忘れて、つい顔を触りそうになります。
あごの下までしっかり隠してくれるのに、密着していないので圧迫感もなく、息をしても、曇りません。
もちろんマスクをすれば息苦しいのですが、それはフェイスシールドをつけているからというより、マスクをしているからでしょう。

使い捨てシールドは、1枚あたり約300円。
マスクよりは高価ですが、使い勝手の良さを考えると、なかなかの優れものだと思いました。

実はこの商品の他のフェイスシールドも試してはみたのですが、頭部にベルトで固定するタイプのものは、髪が乱れます。男女問わず髪型を気にする人には、向かないような気がします。

以上、フェイスシールドを使ってみた感想でした。

嫌な記憶、どうすれば良い?

人間、生きていれば、いろいろあります。
楽しい記憶もあるでしょうが、より鮮明に強く長く残るのは、恥ずかしかったり、つらかったり、悔しかったりと、嫌な記憶ではないでしょうか。
普段すっかり忘れたつもりで生きているというのに、その嫌な記憶は、ふとした拍子に浮かび上がっては、その時の恥ずかしかったり、つらかったり、悔しかったりという感情をリアルに再現してくれます。
そんな時、大きく首を振ったり、声を出したりして、その記憶を振り払おうとしたことのある方は、少なくないのではと思います。
今日は、そんな嫌な記憶の扱い方について、触れてみることにします。

嫌な記憶が浮かび上がってきた時に、大きく首を振ったり、声を出したりして振り払うのは、確かに効果があるでしょう。
ただしそれは、一時的なものです。
時間が経てば、またなにかの拍子に、その記憶は蘇ってきます。
逃げようとしても、逃がしてくれません。
いつまでもどこまでも、追ってくるようです。

ではなぜ、その記憶を嫌だと思うのでしょう。
いろいろな見解があるでしょうが、私はこう思います。

その時の自分を認めたくないから。

恥ずかしい思いをした自分、つらい思いをした自分、悔しい思いをした自分、そうなった原因を作った浅はかな、あるいは愚かな、あるいは軽率な自分を、直視したくないから、だから目を背けるのではないかと。

恥ずかしい自分を、誰が知らなくとも、自分は知っている。
蘇る、ぶり返す記憶は、さぞやつらいことでしょう。
けれど、それは過去のことです。
もう変えられない過去に起こった出来事ですし、こうありたいと思う理想どおりの生き方や言動をのみしてきた人は、ごくごく希少でしょう。
理想とは異なる言動をして、恥ずかしいやら悔しいやらの思いをした自分も確かに自分だと、他の誰が許して認めてくれなくとも、自分だけは過去の自分を許してほしい。
そうすれば、とても楽になります。

夜、夜半、苦い記憶が蘇ってきたら、

「ああ、仕方ないね。
ばかだね、私。
だけど他の誰が許さなくても、私はあなたを認めてあげる。
私はあなたが好きだよ。」

頭を振る代わりに、言い聞かせます。
胸のつかえが、すうっと融けるみたいになくなります。

嫌な記憶に追いかけられたら、一度、お試しください。

夏用マスク、試行錯誤中

しゃべる仕事ですから、マスク必須となったこのご時勢、正直なところ苦労しています。
使い捨てマスクは、ただでさえ蒸れますのに、人前で話すとなると息苦しい上に、とにかく暑い。
なんとかしないとと、5月初旬ごろから、ミシンを引っ張り出して、手作りマスクを試しているところです。

いろいろな生地、大きさで試してみましたので、途中経過ですが、書いてみますね。

1.タオル地
肌ざわりは良いが、表裏ともにタオル地にすると分厚くなって結局暑い。

2.ダブルガーゼ
肌ざわりは良いが、生地が薄いので呼吸の度に、鼻や口にへばりつく。
普通にしゃべるには良いのでしょうが、ずっと話すには使いづらい。
大きめにすれば安定するかと、鼻部分に芯を入れて鼻からあごまですっぽり覆うタイプを作ってみたところ、これは暑くて長時間つけていられません。

3.手ぬぐい(100%コットン)
100均の手ぬぐい、それも何度か使った後のもので作ってみたところ、今のところこれが一番使い勝手が良い。
さらりとした肌触りなのに、ガーゼほどへばりつく感じがありません。
ゴムの代わりに、ストレッチ素材の生地を使うと、耳が痛くなりにくいようです。

4.接触冷感素材
もったいないと思いながらも、下着を一枚、マスク用に裁断しました。
最初は多少ひんやりしていましたが、そのうち暑くなりました。
もともと下着用の生地のため薄いので、ガーゼ同様、息をするとへばりつく感じ。

 

そんなわけで、今のところ、手ぬぐい生地のマスクを愛用していますが、それにしても暑いには変わりありません。
もっと良い方法がないかと模索中です。
フェイスシールドを発注していますので、届いたらその使用感についても、ここでご報告するつもりです。
安心安全に、でもできるだけ快適に過ごす方法を、日本中が探す夏になりそうですね。

芸は身を助く

外出自粛期間中のことです。
弊社でも在宅ワークをすることにいたしました。

普段、自宅のネット環境はwi-fiです。
TVに有線ケーブルを接続してある他は、タブレットかスマホでしか接続しないからです。
そこで自粛期間中の在宅ワークの為、少し長めのケーブルを用意することにしました。
上の写真が、作業の様子です。

ケーブルを作る。
知っていれば些細なことです。
ネット環境を自分の思うようにする。
これもまた些細なこと。
けれど知らなければ、あるいは中途半端な聞きかじりの知識しかなければ、思うようにするのに時間とお金がかかります。
この知識の基礎を身につけさせてくれたのは、以前勤めていた会社です。

「芸は身を助く」とは少し大げさですが、独立してみて感謝を実感したことの1つです。

独立してわかること

サラリーマンをしていた頃、周りの方々のおっしゃっていたこと。

「サラリーマンは、良いよ。
一人でやるのって、それはそれは大変なんだから。」

サラリーマンであった頃、わかっていたつもりでした。
それが「つもり」であったことに、今気づいています。

もちろん収入の安定と不安定などは言うまでもないことですが、それ以外のことも思っていたよりたくさんありました。
想像力は、多くの場合実体験による実感に劣る。
独立してみて、何もかもを自分ですることになって、会社組織のありがたみを知ったというところです。

その1つの例、害虫駆除。
梅雨入りしたせいか、急にむしむしと湿度の高い、暑い日が続いています。
そうなると、うちの事務所も害虫駆除をしておかないとと思い立ち、先日ノンスモークのバルサンを3缶、買ってきました。
噴霧後、掃除機をかけて拭き掃除をしたら、お風呂上がりのような汗、汗、汗。
着替えて、ヘロヘロになりながら帰宅して、思い出したのが、かつて勤務していた会社で数カ月に1度周知された「害虫駆除のお知らせ」でした。

「〇月〇日(土)に、害虫駆除を行います。
食べ物や食器類等は、片づけておいてください。
駆除の後、使用される際は、洗ってお使いください。」

もう少し丁寧な文体だったと思いますが、概ねこんな感じです。
暑い最中、会社のお休みの日に、汗でどろどろになりながら作業してくれていた人たちがいたのだなと、今更ながら感謝しています。

「そんなこと、今更なに言ってんだ。
考えたらわかるだろ?」

そんな声が聞こえそうです。
ええ。
当時だって、知らなかったわけではないのです。
感謝していなかったわけではない。
でも今の感謝とは、深さが違う。
想像力は、実感に劣る。
少なくとも私の場合は、そうでした。

汗だくの害虫駆除で決意したこと。
誰かに何かをしてもらったら、たとえそれがお金を払ってしてもらったことであっても、丁寧に丁寧に、心からお礼を言おう。
ほとんどの場合、その誰かは、私にはできない丁寧さで作業をしてくれているのだから、心からの敬意と感謝を言葉にしようと。

カタカナ言葉を使うならTPOを考えて

 

昨日だったか、9月始業制について東京都知事が語った言葉に、

「来年にしますと、モメンタムをなくす。」

というのがありました。

小池百合子都知事にとって、モメンタムという言葉は彼女自身の語彙として、しごく当然のものなのでしょう。
けれどその言葉を聞いた時、違和感を覚えたのは、おそらく私だけではないだろうと思っていましたところ、やはり。
今日のワイドショーやら、ネットの記事等に、あまり好意的ではない扱われ方で出ていました。

要点は1つ。

「来年にしますと、勢いをなくす。」

これでは、どうしていけないのでしょうかということです。

 

ビジネスの世界でも同じようなことがあります。
よく聞く言葉を例に挙げます。

ミッション(使命)
ハンドリング(操作)
サマリー(要約、まとめ)
アジェンダ(議題)
アサイン(割り当て、任命)
アテンド(世話をする、介添えをする)
リスケ(予定を取り直す)

日本語で話せば、誰にでもわかるものを、あえて英語(しかも単語)にする。
それがある集団においての共通言語となっている場合、そうしなければコミュニケーションがとれませんから、従う必要があるでしょう。
言葉は符牒のようなもので、集団ごとにある程度の特殊性を持つと思うからです。
その集団に属する仲間であれば、共通言語を使わないわけにはいかないことでしょう。

けれども異なる共通言語を使う集団の中では、慎むべきです。
その集団に属する人々の、理解できる言葉で、語られるべきです。
言葉は自分の考えや思いを伝え、相手に理解してもらうために使うものだからです。

時々お目にかかるカタカナ言葉を乱発する人、それも相手や場所を選ばずに。
あまりかっこいいものではないと思うのです。
相手に自分の考えを理解してもらおうと思うより他の、何かしらの感情が透けて見えるような気がするからです。

「巨人の星」に学ぶ、対人処方

不要不急の外出を控え、自宅にこもることの多い毎日を過ごしております。
比較的早い夜の時間、最近はオンデマンドによる昭和の名作アニメを観ています。
「巨人の星」、おそらく40代以上の方なら、タイトルくらいは聞いたことはあるのではないでしょうか。
1968年から1979年にかけて放送されたTVアニメで、プロ野球巨人軍を目指して猛特訓に励む父と息子の、そして後半は巨人軍に入った息子の、スポーツ根性ものです。
楽しむポイントはいろいろとあるのですが、今回は対人処世術の観点から、「あ~、なるほど。」と思い当たったことについて、書いてみることにします。

 

他人が自分に対してする”嫌な言動”の意味は?

「巨人の星」第35話「魔球対剛速球」の中に、考えさせられるシーンがありました。
主人公の星飛雄馬(ほしひゅうま)は、16歳。
甲子園初出場の青雲高校の投手です。
左の本格派、剛速球投手で、幼いころから父にしごかれて、針の穴を通すコントロールと根性、野球理論を持ち合わせています。
対戦相手は、前年度優勝校の三河高校。
エースの太刀川(18歳)は、きれの良いドロップを決め球にする変化球投手です。
今風に言えば、縦におちるカーブでしょうか。
息詰まる投手戦が続き、太刀川は17奪三振です。
0対0、9回裏二死、打者は太刀川の場面でのこと。
太刀川は、バントをします。
飛雄馬は、軽快なフィールドワークで簡単に処理をします。
そこで、「?」となるのです。

「俺の投手守備が下手でないことを、太刀川は知っていたはずだ。
なのにどうして、バントをしたんだ。」

 

そこで、ひらめくのです。
17奪三振、ここまで投げてきた太刀川は、疲れている。
バントで右に左に揺さぶられては、足がついてゆかないと恐れた。
そして彼は思った。
「自分が苦しい時は、相手も苦しい。」
だから飛雄馬が嫌がるだろうバントを、彼はしたのだと。

飛雄馬は、体力温存しながら投げていたので、太刀川ほど疲れてはいませんでした。
だからそのバントを処理できたのですが、この不自然なバントで太刀川の疲れを飛雄馬は見抜くという筋です。

 

これを見て、なるほどと思いました。
いつも他人に嫌なことを言う人、たぶん嫌がるだろうことを探している人、誰の身の周りにも少なからずいることと思います。
たとえば学歴、たとえば運動神経、スポーツの成績、家庭環境、容姿、所属している会社や団体等々。
こういうことを会話の中に織り交ぜて、相手の顔色をうかがい、相手の弱いポイントを探っているような人。
この人たちのついてくるポイントは、実は本人が弱いところなのです。
自分がそれを弱みに思っているから、相手もきっとそうだろうと思うのです。
それならば、その挑発にのるのは愚の骨頂です。
自分から自分の弱みを見せてくれているのですから、
「ああ、この人はこういうことに、コンプレックスがあるのね。」
と認識して、その次の言葉を選びます。
もしぴしゃりとやりたい(やっても良い相手なら)のなら、そのように。
うけながさなければならない相手であれば、むしろにっこり笑って受け流す。

巨人の星を見て処世術を学ぼうとは思いませんでしたが、さすが昭和の名作アニメ、なかなか深いです。
外出自粛はまだまだ続きそうですから、昭和の名作を楽しむ時間はたっぷりあります。
面白い気づきがあれば、またここで報告させていただきます。