「周りに悪く思われないように」とは確かに大切なスキルです。
職場は仲良しクラブではなく、いろいろな人、価値観も年齢も異なる方々のコミュニティです。
「仕事をすること」を目的として集まったコミュニティなら、その仕事が円滑に運ぶよう、職場内で「悪く思われないスキル」は必要でしょう。
けれど、そこにいる人々は、親友ではないのですから、それぞれの「自惚れ」や「高慢」を理解する必要はありません。よく思っているからを理由に、「自惚れ」や「高慢」を喜んで肯定してくれるわけではないのです。
もちろん他人のそういう「自惚れ」「高慢」を上手に立てて、気持ちよく使ってくれる上司や同僚もいるでしょうが、それを全員に求めるのは無理というもの。
褒められないと不安になるとか、評価されないと不安になるとか、自分の自慢話ばかり聞かされるとうんざりするとか、よく耳にする話です。
私自身、そういう思いを抱いたことが、何度あることか。
けれど、ある日気づいたのです。
プライドの本来の意味について。
自尊心。
自分を尊ぶ心。
その評価基準は、自分の中にだけあるのではないのかということに。
他人を鏡にして、「えらく見える」とか「美しく見える」とか言っているから、その鏡が白雪姫の鏡のように、「おまえは醜い。白雪姫の足下にも及ばない。」とか言い出すと、途端に不安になるのです。
白雪姫の継母だって、白雪姫のお父様を射止めたくらいの妖しい美女だったのですから、そもそも白雪姫と比べる必要なんてなかったのです。
14歳の少女と、何が悲しくて張り合うのでしょうか
そもそも土俵が違うと思うのですが…。
あ、話がそれました。
つまり自尊心は、自らが評価者であり評価基準も自らの中にあるものですから、そのことを日々自分に言い聞かせ、よくできたと思えば自分をしっかり褒めてやり、だめだと思えば自分を叱りしていれば、他人に振り回されることなく、ずいぶん生きやすくなるのじゃないかと思うのです。
前述した困りもののプライド「自惚れ」や「高慢」も、自分による自分の評価が確立していて、他人から「綺麗だね」とか「立派だね」とか「すごいね」とかの賛辞を受けなくとも、あるいは「ぶすだね」とか「さえないね」とか「イタイよね。」とかのマイナスの言葉を浴びせかけられようと揺るがないのであれば、それは立派な「自尊心」ではないでしょうか。
もちろん独善的にならないように、他人の意見を聴くことも大切ですが、それはあくまでも参考意見であって、最終的に評価をくだすのは他人ではなく、自分です。
そうすると、仕事に手を抜いたり、身だしなみをさぼったり、そういうことが減るような気がします。
あの人がどう思うか、あの人に何を言われるかとか、そんなことのために身だしなみを整えるのは苦痛ですが、自分が納得する身だしなみを整えると決めると、鏡に向かうのが楽しくさえなるはずです。
自らを尊ぶ。
プライドを高く心に掲げて、生きやすく生きてみませんか。