セルフモニタリングなき発信をする人(2)

自分の中にぶれない機軸を持つことは大切である。これは、前回扱ったとおりです。
けれどそれは、内心の問題です。
自分の心の中に確固たる価値観を持ち続けることは、生きやすく生きるために必要であると信じます。
けれど発信するとなると、ちょっと事情が変わってきます。
受信側の感情も配慮する必要があるからです。
人間が1人で生きているわけではない以上、どんな小さなコミュニティであったとしても、受信する側の人は確かに存在します。
そしてその人にはその人の、内心の機軸(確固たるものでなくとも)が存在し、それを踏みつけにされることに対して、良い感情を持たないのが普通です。
ですから内心の思いを発信する際には、それが特に相手の何か(容貌、言葉、価値観)を否定するものであるかを一瞬考えると、表現が変わってくるのではと思います。
例えば「太った?」なら、「あら、幸せなの?優しい顔つきになったね。」等。
「あんただって、あの時こう言ったよね。」
「あんただって、あの時こんなことをしたよね。」
「正直に自分の思いを口にしただけ」と言う人々は、それを突かれると、必ずこのように反論してきます。
ええ、そのとおりです。
誰しも完璧な人はいません。
けれどセルフモニタリング(受信側に配慮するために自己を客観視する)をしようと努力する気があるとないとでは大違い。
これまでどうだったかは関係ないのです。
気づいた時から、努力を始めれば良い。
そしてこの努力を始めると、セルフモニタリングのない発信者に対して、心の距離をおけるようになります。
セルフモニタリングなしの発信が許されるのは、幼児だけだからです。
相手が幼児だと感じたら、本物の幼児に対するように、大人への期待をしなくなります。
ぜひお試しください。