コロナ騒動、トイレットペーパーの次は食料買いだめ

連日コロナ騒動の話題です。
東京都の小池知事が、今週末(3月28日、29日)の外出自粛要請を出しましたね。
そうなると早速、食料品の買いだめが始まったようです。
買いだめしないでくださいと、都知事もお願いしておいででしたが、良くないのだとは皆知っているんです。
けれど食べられないと困るから、買いだめしてしまう。
今日は、開き直りの大事さについて、扱うことにします。

 

テレビの映像を見て、びっくりです。
食料品を求めて、スーパーマーケットに押し掛ける人々。
東京に限らず、農業を主な業としていない地域に住んでいると、供給や物流がとまれば食料を手に入れることが難しくなります。
不安が不安を呼んで、買いだめに走るのは、自然な心理でしょう。
そういえば、似たような場面を、昔見たことがあります。
1993年の米不足時です。
当時東京に住んでいたのですが、スーパーマーケットはもちろん近所のコンビニでまで、米の袋やパンがなくなったのをよく覚えています。
あの時も今も、不安な心理が起こす行動は、変わらないのですね。

さあ、ここから本題です。
こんな不安の中での開き直りとは、どういうことか。
まず、今あるものを総ざらいしてみること。
計画的に1週間分の買い物をしている方もおありでしょうが、それでもいただきものやストック食品のまるでない家はないと思います。
たとえばパスタやそうめん、インスタントラーメン。
小麦粉、お米。
缶詰、乾物。
コンデンスミルクやスキンミルク。
レトルト食品のパック。
非常袋の中の保存食糧。
けっこうあるものです。
1週間やそこら、食いつなぐことができるくらいは、あるのではないでしょうか。

うちも自宅のストックをさらってみました。
パスタ、そうめん、乾麺(そば、うどん、ラーメン)、薄力粉、強力粉、ホットケーキミックス、麦にお米、以下略。
味が濃くて食べにくいと感じた、ビーフジャーキーの残りもあります。
これとジャガイモで、肉じゃがもどきができるはず。
なければないようにとは、母がよく言っていたことです。
「あるものでなんとかしなさい。
いちいち買い物に行かないの。」
昔、少女の頃には、けち臭いことをと反発したものですが、今となっては感謝しています。
ホントにそのとおりです。

今回の場合、政府筋から私たちに向けて、「正しい情報に基づく冷静な対応を」と呼びかけています。(TBS News)
それでも最近起こったトイレットペーパーの品薄のように、不安による買いだめで一時的にモノが不足することは考えられます。
そしてその不足が、首都圏だけでおさまらないことも。
けれどもし、モノが「ない」としたら、それは世の中全体がそうなのですから、どうしようもないことと、開き直ることも大事だと思います。
戦争や内乱でそうなったわけではないのですから、いつかは落ち着くはず。
不安にあおられて、人ごみの中に出て食料品を買いあさるより、いつかはよくなるさと、開き直ってあるものでなんとかする。
そうすれば本当に必要な人に、物資がまわるでしょう。
未曾有の非常時ですから、いつものとおりの食卓でなくとも仕方ない。
この際、デッドストック化していた食料品を活かすチャンスと考えて、料理検索サイト(例クックパッド)を活用してみてはいかがでしょうか。
開き直れば、気分は楽なものです。
今こそ、冷静に開き直りましょう!

コロナストレス at home

コロナウィルス騒動、まだまだ続きそうな気配ですね。
今日は、外で働く人々を支える、家の中で働く人々のストレスについて考えてみます。

家の中、家族間では、遠慮がない為、考える前に自分の思いをそのまま出してしまいがちです。
そして身近な存在であるがゆえに、「私をわかっていて当たり前」と思いがちなので、自分の考えや思いと違うことを言われると、かちんとくるようです。

例えば、夕食のテーブルで。
子供「え~。今日、あじの開き?
こんなの、夜食べるものじゃないよね。」
夫 「ママ、オムライスでも作ってやれよ。」
妻 「………。ごめんね、買い物行ってなくて。」

子どもは、自分が食べたいものを、ママならわかってくれているはずと思っているので、自分の苦手なものが出てくると、いらっとします。
夫は、外で仕事をしてきて十分ストレスを受けている自分を、妻ならもっといたわるべきと思っているので、家庭内のつまらない出来事(夕食の不満)でわずらわされて、いらっとします。
この二人は、いらっとした怒りを、「自分の思いをわかるべき」と思っているママに対してストレートにぶつけています。
それに対して、このママはできたママなので、「ごめんね」と受け止めてくれています。
本当は謝る必要なんてないのに。
私見ですが、出された夕食に文句があるのなら食べるなと思いますのに。
このできたママが買い物に行っていないとしたら、何か事情があったのかもしれません。
でもこのママは、言い訳するでもなく「ごめんね」と受け止めてくれています。
なんとできたママでしょう。

 

上の事例は、いささかできすぎママかもしれませんが、ほとんどのママ(パパ)が多かれ少なかれ、上のような理不尽な家族のイライラに耐えているはずです。
彼ら彼女らは、知っているからです。
自分の事情を声高にぶつけたところで、家族のわがままな自己主張がおさまるはずはないことを。
余計に面倒なことになることを。
だから「もういいや。」と自分が悪者になるのです。
これを恒常的にやられたら、けっこうなストレスですよね。

それでも今までは、朝になれば家族は外出してくれましたから、少しはほっとすることもできました。
ところがこのコロナウィルス騒動です。
家族が自宅にいる時間が増えれば、彼ら彼女らのストレスも増大します。
家族は相変わらず「ママは自分のことをわかってくれているはず」と思い込み、自分の思いをストレートにぶつけてくるし、食事、洗濯、掃除の手間も、いつもより増えるでしょう。
休校による子供たちのストレスとか、テレワーク推奨による自宅勤務とか、普段外に出ていく人々の変化については、よく取り上げられますが、是非とも考えていただきたいのは、日ごろから家の中の仕事をしてくれる人々の変化についてです。

してくれるのが当然。
わかってくれて当然。

家族ではあっても別人格です。
あらためて、その思い込みを考え直してください。
そうすれば、このたびのウィルス騒動で、自分たちがいかに彼ら彼女らに面倒をかけているか、気づくはずです。
彼ら彼女らに、きつい言葉を放つ前に、

「してくれて、ありがとう。」

をまず言ってください。
その後で、自分の希望を伝えれば、彼ら彼女らを追い詰めることはないでしょう。
上の例で言えば、

「ママ、ごはんありがとう。
明日はお肉がいいな。」

とか。

コロナウィルス騒動に揺れる今、自宅で顔を突き合わせる時間が増える分、家族間のストレスがたまりがちです。
普段外で働いたり、学校へ通ったりしている皆様、ぜひぜひ家の中で働く人たちへの配慮を、お願いいたします。

心の3点支持

生きていると、穏やかな日々ばかりではありませんよね。
家庭内のトラブル、仕事上のトラブル、人間関係、家族の延長線上にあるトラブル(妻の夫の仕事関連の交際、子供の学校関連の交際、義理の家族との交際等)等々、おそらく何もない人などいないのではないでしょうか。
私たちは我慢することを美徳として、育てられています。
だから何かあっても、
「こんなの大したことじゃない。忘れよう、気にしない。」
と自分に言い聞かせて、耐える。
そしてつもりつもって、だんだんに塊が大きくなって弾ける。
弾けた先にあるものは、離婚であったり、離職であったり、とにかくあまり気持ちの良い終わり方ではないものです。
今日は、そうならないようにする予防法について、心の3点支持を提案することにします。

 

3点支持

耳にされたことは、ありますか?
元々は岩登りの姿勢に使う言葉で、4肢のうち3肢で身体を支え、残る1肢を移動のために自由にする安全姿勢のことです。
脚立や梯子、電柱に登るような高所作業が必要な業界では、よく聞く言葉です。
3点で身体を支えれば安定する。

これ、心の安定にも使えるなあと思ったのです。
働く人の多くは、起きている時間の半分以上を職場か通勤時間に使っています。
仕事が終われば、疲れて自宅へまっすぐ帰るか、そうでなければ仕事仲間と一杯飲んで帰ろうかとなるのが、よくあるパターンでしょう。
この人の所属するコミュニティ(共同体)は、1つまたは2つです。
まず職場。
家族がいる場合、これに家庭が入ります。
1つのコミュニティにしか属していない場合、人間関係や価値観の醸成等がすべて1つのコミュニティに従属しています。
そこで人間関係がこじれたり、何かトラブルがあったりすると、そのことばかりを考えてしまいます。
けれどもう1つコミュニティがあったら、少しは楽になります。
そこは、職場のコミュニティとは違う人員による構成だからです。
そして職場が仕事をすることを目的としたコミュニティであるのに対し、家庭は家族で生活することを目的としたコミュニティであり、集まる目的が違うので、うまくいけば職場のトラブルによるストレスを軽くしてくれる場合もあります。
但し、あくまでも「場合もある」ということです。
生活には、手間暇、お金がかかるもので、そこにはそれなりのトラブルがあります。
家族である分、他人より遠慮のない生の言葉をぶつけ合い、さらにストレスがたまる場合もあるということです。
そこに、第3のコミュニティを持つメリットがあります。

第3のコミュニティとは、仕事をするためでも生活するためでもない、生きる為にどうしても必要というわけではない目的のための共同体。
一番わかりやすいのは、趣味でしょう。
草野球、サッカー、格闘技、テニス、バレーボール等のスポーツ。
書道、絵画、音楽、文芸等のアート。
料理、手芸等の実用的なもの。
趣味とは少し違いますが、ボランティア活動なんていうものもあるでしょう。
このコミュニティを持つと、仕事にも生活にも関わりのない人たちが相手なので、気持ちを楽にして話すことができるような気がします。
そしてこの3つめのコミュニティは、「好きだから、やりたいからやる」が基本姿勢なので、「楽しいまたはやりがいがある」のが前提です。
そしてその良いところは、興味の対象が増えれば所属コミュニティをもっと増やすことができるし、興味がなくなれば削ることもできる点です。
気楽に楽しみながら、社会と関われる。
この3つめのコミュニティを複数持てば、「3点支持」による心の安全を保てるようになります。

働くということは、起きている時間の半分以上を職場で過ごすということです。
働いてお金を得なければ、生活できないのがほとんどの人ですから、職場のコミュニティに、よくも悪くも影響されるのは仕方のない事でしょう。
生きるのに必要なコミュニティだからこそ、悪い時でも、上手にうけながしたいものです。
心の平穏を保てれば、受け流すのがそれほど難しくはありません。
「そこにいて良い場所」が、他にもどこかにあるからです。
ご家族とうまくいっている方も、保険のためにお考え下さい。
第3のコミュニティ。
かなり良い仕事をしてくれますよ。

忠誠心の育て方 -非正規雇用からの登用ー(3)

互いになんらかの利益を与え合う関係である「御恩と奉公」における忠誠心には、熱心に奉公するための御恩を効果的に与えることが大事でした。
今回は、それ以外のパターン、利益の保証もないのに忠誠心が生まれる場合について書いてみます。

2.見返りを求めない奉公
忠臣蔵など時代劇を見ていると、「お家のために」とか「殿のために」の言葉が出てきます。
主家や主君を辱めたものに対して命を捨てて抗議する姿が、時代をこえて人の心を打つのは、そこに見返りを求めない忠誠心を見るからでしょう。
忠臣蔵の義士たちは、それでも当時や後世の人々からの賛美という名誉を得ましたが、その名誉さえも求めない、さらに厳しい忠誠心も「葉隠れ」(山本常朝 江戸中期の書物)の中にはありました。

この忠誠心は、忠義をつくす方に、「忠義を尽くす美学」か「忠義を尽くすに足る愛着」か、どちらかがないと生まれないような気がします。
忠義を尽くす美学に関しては、江戸時代の場合、教育によるところが大きいでしょう。
今この忠誠心を育てるとしたら、忠義を尽くすに足る愛着を刺激するしかありません。

主家、主君を、現代に置き換えると、役所または会社、長官(所長)または社長となるでしょう。
役所や会社という組織か、所長や社長という個人に対して、自らの利益を顧みず熱心に奉公するとしたら、何が理由でしょうか。
組織を愛している。
その組織に属していることを誇りに思い、それを自らのアイデンティティ(自己同一性)としている。
所長や社長個人を愛している。
尊敬し、崇拝し、親近感を覚え、その人のためにならどんな努力も惜しまないと思っている。
こんなところではないでしょうか。

非正規雇用社員を登用する際、忠誠心を育てることが大切です。
しかしこの育成には、育てる側が非正規雇用社員の心情とものの考え方を理解しておかねば効果は上がりにくいでしょう。
非正規雇用社員を正社員に登用している企業におかれては、忠誠心の育て方についてお考えになってみてはいかがでしょうか。

忠誠心の育て方 ー非正規雇用からの登用ー(2)

忠誠心(愛着)の発生には、2つのパターンがあります。

1.ご恩と奉公タイプ
企業と労働者の間には、互いに利益を提示し合う関係があり、相手が自分に利益をもたらす故に相手に対して厚く遇したり、熱心に奉公したりします。

鎌倉幕府の御恩とは、これまでの所領を安堵した上、手柄に応じて新所領を与えることです。
これを今の時代に置き換えると、既得権の保証と新しい昇進昇級昇給の機会の提示というところでしょうか。

ここで大切なのが、既得権の保証の部分です。
非正規雇用時に、彼らに対して個人的に約束していたことがあれば(例えば現在の給与額、出張はない、転勤はない、自動車通勤許可等)、その条件を前提に彼らの生活は成り立っています。
もし正規雇用に際して、それらの条件を変更しなければならなくなった場合、該当社員とよく話し合い妥協点をみつける必要があります。
「正社員にしてやるのだから言うことをきけ。」という態度では、新条件の提示は確かに自分にとって利益であり、新しい「御恩」だが、旧の「ご恩」を取り上げられるのなら差引0ではないかと考えてしまう人もでるでしょう。
それでは「御恩」になりません。
「御恩」があればこそ、二心なく熱心な奉公に結びつきます。

新しい御恩にあたる昇進昇級昇給に際しても、与え方に注意が必要です。
長く非正規雇用で働いてきた彼らには、前回触れたとおり正規雇用者と異なる特性があります。
企業が望む「できるはず」のことが、できないことがあるのです。
それを補填する為に、それぞれの階層に応じた研修による能力の習得が必要ですが、この研修自体が昇進昇級昇給のためのステップであり、能力アップのために企業が与える「御恩」なのだと、彼らに理解してもらわなくては、熱心な奉公につながりません。
せっかく時間とお金をかけて御恩を提示するのですから、奉公につながらなくてはもったいない事です。

次回は、御恩と奉公以外の忠誠心発生のパターンについて扱います。

 

忠誠心の育て方 ー非正規雇用からの登用ー

1990年代から始まった長い不況の間、俗に就職氷河期世代と呼ばれる方々が労働市場に参入しました。
一部の恵まれた方を除けば、多くが辛酸をなめた世代です。
契約社員、派遣社員といった非正規雇用者として、働かざるをえなかった世代。
今彼らは30代後半から50歳くらいになっています。
企業が正社員の採用を絞った為、当然のことながら各企業においてその世代の人財が少ないのです。
加えて国の意向もあり、最近、非正規雇用者を正規雇用者として登用しようという動きが、あちこちで見受けられるようになりました。

けれど実際にそうなると、別の問題が出てくるようです。
今日は非正規雇用者を正規雇用にする際の問題点について、扱うことにします。

 

ある企業で非正規雇用で入社した方々(18歳~46歳)の研修を10数年担当していましたが、その中で気づいた彼らの特徴が数点あります。
まず長所。
1.柔軟な協調性
新卒者を除き、ほとんどの方は前職をなんらかの事情で辞めて入社してきます。前職がなんであれ、新たに入った職場に早くなじもうと努力する謙虚で柔軟な協調性が見られました。
2.メンタルの強靭性
他の職場でもまれてきているので、人間関係のもろもろへの耐性が強いようでした。

けれど良いことばかりではありません。
長く正規雇用で働いてきた方にあって、彼らにないものももちろんあります。

1.忠誠心(Loyalty)
忠誠心とは、尊敬をもって命令に服従する心です。
新卒で正規雇用で入社した人々には、多くの企業で研修メニューが用意されています。
社歴や階層に応じて、その時々に必要な能力を落とし込んでいきます。
また長く在籍するうちに、企業の風土にもなじみ、そこに対する愛着も自然に生まれてくるものです。
同じ愛着を持つ上司からの命令には、たとえ少々の不満があっても従うでしょう。
けれど非正規雇用者はこの仕組みの枠外に在る為、愛着は育ちにくく、自分の能力のみを恃みにする傾向があります。
上司と同じ愛着を持たないため、不平不満が目立ちます。
2.未開発の能力の多さ
企業の用意した研修メニューによる育成がなされていないため、「できるはず」と企業側が思うことができない傾向があります。
それは非正規雇用者として、正社員の職分を侵さないように働いてきた「つけ」ともいうべきものです。
狭視野でしかものを見ない為、考え方が一面的で極端でもあります。
けれどこれは同時に「伸びしろ」の多さを示すものでもあり、必ずしも短所ではありません。

柔軟な協調性、強靭なメンタルという長所を持ちながら、忠誠心(愛着心)が薄い為、正規雇用の社員しか部下に持たなかった上司には、扱いづらい存在ではないでしょうか。
問題は忠誠心の育成です。
次回は、どのようにして忠誠心を育てるかを扱います。

 

 

冷静でいる力

コロナウィルスで騒がしい毎日です。
テレビをつければウィルスの脅威でにぎわい、ネットでは正確でタイムリーなニュースに混じって、トイレットペーパーが不足するとか、ペットシーツが不足するとか、迷惑この上ないデマが飛び交ったりしています。

人は不安や恐怖があると、防衛本能が働くものだそうです。
関東大震災の際にも、どこをどうつけばそうなるのかというデマが出回り、それでひどい目にあった方もいるとか。
不安や恐怖の恐慌状態下では、どうも攻撃的になるようです。
これは今の状態にも、通じるものがあるかもしれません。

いつ解決するかわからない混乱を前に、物資の不足を心配したり、感染して社会生活から隔離されたまま帰れなくなるのでは心配したり、感染したことを責められるのではと心配したり。
集団ヒステリー状態のように見えます。

巷にあふれている情報は、玉石混交、本当に正しいものと単なる憶測のもの、希望のバイアスのかかったもの、不安のバイアスのかかったものが混ざってます。
こんな時こそ、正しい情報を見極める冷静さが必要です。
できるだけ客観的な根拠のあるニュースを基に、その後は自分の頭で状況を考えるのですが、そのためには極端で刺激的なニュースは遠ざける冷えた頭が必要なのだと思います。

まずおいしいお茶を淹れて、ひとつ息をして、それからどうすべきか考えるように。
最近、特に意識して努力していることです。

「わかりにくい」という人にもわかるように

行政が何かを始めたり、企業が何かの方針を出したりすると、周りからよく聞こえてくる言葉。

「よくわからない。」
「わかりにくい。」

正直に言います。
わかる気ないでしょ?
そう思います。

かく言う私自身も、興味のないことについて、自分からいろいろ調べて理解しようとはしません。
その状態で、興味のないことをいろいろと言われても、さっぱりわからない。
当たり前です。
理解しようとしていないのだから。

今世の中を騒がせている新型ウィルスのニュースを見るたびに、行政に関わる方々や、啓蒙活動をしておいでの有識者の皆様は、大変だなあと思います。
わかろうとしている人もいるでしょうが、そもそも自分の身近なこととしてとらえていない、さほど興味を持っていない人たちに、理解してもらえるように話さなくてはならないのですから。

そんな中で、すごいなと思ったのがワイドショーです。
感染症の専門家や法律家、政治記者や政府筋に近い評論家等、コメンテーターはそれぞれのジャンルのプロフェッショナルですが、司会がタレントさんなので、質問や意見がとても庶民的です。
あれはわざとそういう風に演じているのかもしれませんが、とにかく視点が一般人なのです。
そうするとその質問に答えるには、プロ側もより単純な言い回しをしなければならなくなるようで、なるほどこれなら、興味のない人でもおもしろがって聴いてくれるかもしれないと思わせてくれました。

なにかをやりたいと思ったら、そしてどうしてもそうしたいと思ったら、人の興味をひく面白さが必要なんだと今更ながら気づきました。
学校の授業、企業の研修、セミナー等、そういえば面白い先生の授業や研修内容は覚えているものです。
行政に携わる方々や専門家は、普段あまり面白さを要求される場面にいないのかもしれませんね。
どんな深刻なことでも面白く(相手の注意をひくように)伝えるスキル、社会人に必要なスキルの1つになるかもしれません。

コロナ対策、できることって(2)

1つ前の記事で、抵抗力を上げようと書きましたが、どうも「特定の場所への外出を控えよう」はもっと大切だと言わなくてはと、追加記事を上げることにしました。

新型コロナウィルス感染症対策専門家会議によると、

1.症状の軽い人からの感染拡大
感染しても軽傷ですむ若年層が、気づかぬうちに周りを感染させているのではないか。

2.一定条件を満たす場所からの感染拡大
屋内で閉鎖された空間、人と人との距離が至近で、一定時間交わる場所では、感染集団(クラスタ)が発生しやすい。
(これまで感染が確認された人のうち80%は、他者を感染させていない。)*厚生労働省HP

ということは、自分に抵抗力があるからと調子にのって、ライブハウスやスポーツジム、映画館やコンサート等、人のたくさん集まる場所へ出かけていたら、気づかぬうちにクラスタになる可能性があって、そしてそれは自分がしんどい思いをするかしないかという個人レベルの問題にとどまらないことを、強く自覚する必要があるということ。

若年層の方々には、周囲からもっと強く言ってもいいかもしれません。
学生には学校やご家庭が、未就労の若年層にはご家庭が。
どんなにうるさがられても、今回ばかりは言っていただきたい。

「外でうろうろしないで、早くうちに帰りなさい。
人の多いところには、行かないのよ?」

 

コロナウィルス対策、できることって

 

世間をにぎわす新型コロナですが、皆さまどのように対応しておいででしょうか。

大手企業の中には、不要不急の出張は差し控えるとか、大規模な集合研修は控えるとか、フレックスタイムを導入するとか、テレワークを実施するとか、対策をとられているところもあるようです。

小中高の学校のうち、公立のものは一斉休校のようですし(一部の自治体を除く)、アスレティックジムやビュフェ形式のレストラン等の利用も差し控えた方が良いような様子です。

なるほど人の多いところへ出入りすれば、知らぬ間に感染するリスクはあるでしょう。
今度のウィルスは感染しても、必ずしも自覚症状が出るわけではないのが怖いところです。
無自覚に、誰かを感染させてしまう危険がある。
だから政府がおっしゃっていることは、もっともなことで私たちはできる限りリスクの高いところへは近づかぬが良いでしょう。

けれどもどんなに気をつけていても、通勤しないわけにはいかないし、食事の買い物に行かないわけにもいかないとなれば、バスや電車、タクシーにも乗るでしょうし、スーパーマーケットやデパートにも出かけるでしょう。

結局のところ、最後は自らの抵抗力を高めるしかないのだと、私は覚悟しています。
外出時には、マスク、手袋、バッグにはアルコール除菌シートを持ち、手洗いうがいを頻繁にして、後はよく寝てよく食べるを自らに課しています。
小さな頃、冬がきてインフルエンザの季節になると、学校の先生や両親からよく言われていたことです。
「しっかり食べて、よく寝なさい。
本やまんがをいつまでも読んでいないのよ?」
「本やまんが」のところだけ今風にすると、「スマホ」に置き換えればいいのでしょうか。

特効薬のない状態で、企業は社員の環境的なリスクを減らそうと努力してくれているようです。
社員側でできることは、抵抗力をあげながらの自衛ではないでしょうか。
マスクやアルコールはもちろん有効でしょうが、まず元気で抵抗力のある状態を維持することが先なのではと思うのです。
バランスよく食べて、しっかり休む。
こればかりは、本人の自覚がなければできません。
あまりにも素朴、昔気質過ぎて気恥ずかしいような言葉ですが、

「外をうろうろしないで早く帰ってきなさい。
好き嫌いしないで食べなさい。
早く寝なさい。」

誰かが言わないといけないのかなあと、最近思う事です。