嫌な記憶、どうすれば良い?

人間、生きていれば、いろいろあります。
楽しい記憶もあるでしょうが、より鮮明に強く長く残るのは、恥ずかしかったり、つらかったり、悔しかったりと、嫌な記憶ではないでしょうか。
普段すっかり忘れたつもりで生きているというのに、その嫌な記憶は、ふとした拍子に浮かび上がっては、その時の恥ずかしかったり、つらかったり、悔しかったりという感情をリアルに再現してくれます。
そんな時、大きく首を振ったり、声を出したりして、その記憶を振り払おうとしたことのある方は、少なくないのではと思います。
今日は、そんな嫌な記憶の扱い方について、触れてみることにします。

嫌な記憶が浮かび上がってきた時に、大きく首を振ったり、声を出したりして振り払うのは、確かに効果があるでしょう。
ただしそれは、一時的なものです。
時間が経てば、またなにかの拍子に、その記憶は蘇ってきます。
逃げようとしても、逃がしてくれません。
いつまでもどこまでも、追ってくるようです。

ではなぜ、その記憶を嫌だと思うのでしょう。
いろいろな見解があるでしょうが、私はこう思います。

その時の自分を認めたくないから。

恥ずかしい思いをした自分、つらい思いをした自分、悔しい思いをした自分、そうなった原因を作った浅はかな、あるいは愚かな、あるいは軽率な自分を、直視したくないから、だから目を背けるのではないかと。

恥ずかしい自分を、誰が知らなくとも、自分は知っている。
蘇る、ぶり返す記憶は、さぞやつらいことでしょう。
けれど、それは過去のことです。
もう変えられない過去に起こった出来事ですし、こうありたいと思う理想どおりの生き方や言動をのみしてきた人は、ごくごく希少でしょう。
理想とは異なる言動をして、恥ずかしいやら悔しいやらの思いをした自分も確かに自分だと、他の誰が許して認めてくれなくとも、自分だけは過去の自分を許してほしい。
そうすれば、とても楽になります。

夜、夜半、苦い記憶が蘇ってきたら、

「ああ、仕方ないね。
ばかだね、私。
だけど他の誰が許さなくても、私はあなたを認めてあげる。
私はあなたが好きだよ。」

頭を振る代わりに、言い聞かせます。
胸のつかえが、すうっと融けるみたいになくなります。

嫌な記憶に追いかけられたら、一度、お試しください。

夏用マスク、試行錯誤中

しゃべる仕事ですから、マスク必須となったこのご時勢、正直なところ苦労しています。
使い捨てマスクは、ただでさえ蒸れますのに、人前で話すとなると息苦しい上に、とにかく暑い。
なんとかしないとと、5月初旬ごろから、ミシンを引っ張り出して、手作りマスクを試しているところです。

いろいろな生地、大きさで試してみましたので、途中経過ですが、書いてみますね。

1.タオル地
肌ざわりは良いが、表裏ともにタオル地にすると分厚くなって結局暑い。

2.ダブルガーゼ
肌ざわりは良いが、生地が薄いので呼吸の度に、鼻や口にへばりつく。
普通にしゃべるには良いのでしょうが、ずっと話すには使いづらい。
大きめにすれば安定するかと、鼻部分に芯を入れて鼻からあごまですっぽり覆うタイプを作ってみたところ、これは暑くて長時間つけていられません。

3.手ぬぐい(100%コットン)
100均の手ぬぐい、それも何度か使った後のもので作ってみたところ、今のところこれが一番使い勝手が良い。
さらりとした肌触りなのに、ガーゼほどへばりつく感じがありません。
ゴムの代わりに、ストレッチ素材の生地を使うと、耳が痛くなりにくいようです。

4.接触冷感素材
もったいないと思いながらも、下着を一枚、マスク用に裁断しました。
最初は多少ひんやりしていましたが、そのうち暑くなりました。
もともと下着用の生地のため薄いので、ガーゼ同様、息をするとへばりつく感じ。

 

そんなわけで、今のところ、手ぬぐい生地のマスクを愛用していますが、それにしても暑いには変わりありません。
もっと良い方法がないかと模索中です。
フェイスシールドを発注していますので、届いたらその使用感についても、ここでご報告するつもりです。
安心安全に、でもできるだけ快適に過ごす方法を、日本中が探す夏になりそうですね。

芸は身を助く

外出自粛期間中のことです。
弊社でも在宅ワークをすることにいたしました。

普段、自宅のネット環境はwi-fiです。
TVに有線ケーブルを接続してある他は、タブレットかスマホでしか接続しないからです。
そこで自粛期間中の在宅ワークの為、少し長めのケーブルを用意することにしました。
上の写真が、作業の様子です。

ケーブルを作る。
知っていれば些細なことです。
ネット環境を自分の思うようにする。
これもまた些細なこと。
けれど知らなければ、あるいは中途半端な聞きかじりの知識しかなければ、思うようにするのに時間とお金がかかります。
この知識の基礎を身につけさせてくれたのは、以前勤めていた会社です。

「芸は身を助く」とは少し大げさですが、独立してみて感謝を実感したことの1つです。

独立してわかること

サラリーマンをしていた頃、周りの方々のおっしゃっていたこと。

「サラリーマンは、良いよ。
一人でやるのって、それはそれは大変なんだから。」

サラリーマンであった頃、わかっていたつもりでした。
それが「つもり」であったことに、今気づいています。

もちろん収入の安定と不安定などは言うまでもないことですが、それ以外のことも思っていたよりたくさんありました。
想像力は、多くの場合実体験による実感に劣る。
独立してみて、何もかもを自分ですることになって、会社組織のありがたみを知ったというところです。

その1つの例、害虫駆除。
梅雨入りしたせいか、急にむしむしと湿度の高い、暑い日が続いています。
そうなると、うちの事務所も害虫駆除をしておかないとと思い立ち、先日ノンスモークのバルサンを3缶、買ってきました。
噴霧後、掃除機をかけて拭き掃除をしたら、お風呂上がりのような汗、汗、汗。
着替えて、ヘロヘロになりながら帰宅して、思い出したのが、かつて勤務していた会社で数カ月に1度周知された「害虫駆除のお知らせ」でした。

「〇月〇日(土)に、害虫駆除を行います。
食べ物や食器類等は、片づけておいてください。
駆除の後、使用される際は、洗ってお使いください。」

もう少し丁寧な文体だったと思いますが、概ねこんな感じです。
暑い最中、会社のお休みの日に、汗でどろどろになりながら作業してくれていた人たちがいたのだなと、今更ながら感謝しています。

「そんなこと、今更なに言ってんだ。
考えたらわかるだろ?」

そんな声が聞こえそうです。
ええ。
当時だって、知らなかったわけではないのです。
感謝していなかったわけではない。
でも今の感謝とは、深さが違う。
想像力は、実感に劣る。
少なくとも私の場合は、そうでした。

汗だくの害虫駆除で決意したこと。
誰かに何かをしてもらったら、たとえそれがお金を払ってしてもらったことであっても、丁寧に丁寧に、心からお礼を言おう。
ほとんどの場合、その誰かは、私にはできない丁寧さで作業をしてくれているのだから、心からの敬意と感謝を言葉にしようと。