人間、生きていれば、いろいろあります。
楽しい記憶もあるでしょうが、より鮮明に強く長く残るのは、恥ずかしかったり、つらかったり、悔しかったりと、嫌な記憶ではないでしょうか。
普段すっかり忘れたつもりで生きているというのに、その嫌な記憶は、ふとした拍子に浮かび上がっては、その時の恥ずかしかったり、つらかったり、悔しかったりという感情をリアルに再現してくれます。
そんな時、大きく首を振ったり、声を出したりして、その記憶を振り払おうとしたことのある方は、少なくないのではと思います。
今日は、そんな嫌な記憶の扱い方について、触れてみることにします。
嫌な記憶が浮かび上がってきた時に、大きく首を振ったり、声を出したりして振り払うのは、確かに効果があるでしょう。
ただしそれは、一時的なものです。
時間が経てば、またなにかの拍子に、その記憶は蘇ってきます。
逃げようとしても、逃がしてくれません。
いつまでもどこまでも、追ってくるようです。
ではなぜ、その記憶を嫌だと思うのでしょう。
いろいろな見解があるでしょうが、私はこう思います。
その時の自分を認めたくないから。
恥ずかしい思いをした自分、つらい思いをした自分、悔しい思いをした自分、そうなった原因を作った浅はかな、あるいは愚かな、あるいは軽率な自分を、直視したくないから、だから目を背けるのではないかと。
恥ずかしい自分を、誰が知らなくとも、自分は知っている。
蘇る、ぶり返す記憶は、さぞやつらいことでしょう。
けれど、それは過去のことです。
もう変えられない過去に起こった出来事ですし、こうありたいと思う理想どおりの生き方や言動をのみしてきた人は、ごくごく希少でしょう。
理想とは異なる言動をして、恥ずかしいやら悔しいやらの思いをした自分も確かに自分だと、他の誰が許して認めてくれなくとも、自分だけは過去の自分を許してほしい。
そうすれば、とても楽になります。
夜、夜半、苦い記憶が蘇ってきたら、
「ああ、仕方ないね。
ばかだね、私。
だけど他の誰が許さなくても、私はあなたを認めてあげる。
私はあなたが好きだよ。」
頭を振る代わりに、言い聞かせます。
胸のつかえが、すうっと融けるみたいになくなります。
嫌な記憶に追いかけられたら、一度、お試しください。