「わかりにくい」という人にもわかるように

行政が何かを始めたり、企業が何かの方針を出したりすると、周りからよく聞こえてくる言葉。

「よくわからない。」
「わかりにくい。」

正直に言います。
わかる気ないでしょ?
そう思います。

かく言う私自身も、興味のないことについて、自分からいろいろ調べて理解しようとはしません。
その状態で、興味のないことをいろいろと言われても、さっぱりわからない。
当たり前です。
理解しようとしていないのだから。

今世の中を騒がせている新型ウィルスのニュースを見るたびに、行政に関わる方々や、啓蒙活動をしておいでの有識者の皆様は、大変だなあと思います。
わかろうとしている人もいるでしょうが、そもそも自分の身近なこととしてとらえていない、さほど興味を持っていない人たちに、理解してもらえるように話さなくてはならないのですから。

そんな中で、すごいなと思ったのがワイドショーです。
感染症の専門家や法律家、政治記者や政府筋に近い評論家等、コメンテーターはそれぞれのジャンルのプロフェッショナルですが、司会がタレントさんなので、質問や意見がとても庶民的です。
あれはわざとそういう風に演じているのかもしれませんが、とにかく視点が一般人なのです。
そうするとその質問に答えるには、プロ側もより単純な言い回しをしなければならなくなるようで、なるほどこれなら、興味のない人でもおもしろがって聴いてくれるかもしれないと思わせてくれました。

なにかをやりたいと思ったら、そしてどうしてもそうしたいと思ったら、人の興味をひく面白さが必要なんだと今更ながら気づきました。
学校の授業、企業の研修、セミナー等、そういえば面白い先生の授業や研修内容は覚えているものです。
行政に携わる方々や専門家は、普段あまり面白さを要求される場面にいないのかもしれませんね。
どんな深刻なことでも面白く(相手の注意をひくように)伝えるスキル、社会人に必要なスキルの1つになるかもしれません。

コロナ対策、できることって(2)

1つ前の記事で、抵抗力を上げようと書きましたが、どうも「特定の場所への外出を控えよう」はもっと大切だと言わなくてはと、追加記事を上げることにしました。

新型コロナウィルス感染症対策専門家会議によると、

1.症状の軽い人からの感染拡大
感染しても軽傷ですむ若年層が、気づかぬうちに周りを感染させているのではないか。

2.一定条件を満たす場所からの感染拡大
屋内で閉鎖された空間、人と人との距離が至近で、一定時間交わる場所では、感染集団(クラスタ)が発生しやすい。
(これまで感染が確認された人のうち80%は、他者を感染させていない。)*厚生労働省HP

ということは、自分に抵抗力があるからと調子にのって、ライブハウスやスポーツジム、映画館やコンサート等、人のたくさん集まる場所へ出かけていたら、気づかぬうちにクラスタになる可能性があって、そしてそれは自分がしんどい思いをするかしないかという個人レベルの問題にとどまらないことを、強く自覚する必要があるということ。

若年層の方々には、周囲からもっと強く言ってもいいかもしれません。
学生には学校やご家庭が、未就労の若年層にはご家庭が。
どんなにうるさがられても、今回ばかりは言っていただきたい。

「外でうろうろしないで、早くうちに帰りなさい。
人の多いところには、行かないのよ?」

 

コロナウィルス対策、できることって

 

世間をにぎわす新型コロナですが、皆さまどのように対応しておいででしょうか。

大手企業の中には、不要不急の出張は差し控えるとか、大規模な集合研修は控えるとか、フレックスタイムを導入するとか、テレワークを実施するとか、対策をとられているところもあるようです。

小中高の学校のうち、公立のものは一斉休校のようですし(一部の自治体を除く)、アスレティックジムやビュフェ形式のレストラン等の利用も差し控えた方が良いような様子です。

なるほど人の多いところへ出入りすれば、知らぬ間に感染するリスクはあるでしょう。
今度のウィルスは感染しても、必ずしも自覚症状が出るわけではないのが怖いところです。
無自覚に、誰かを感染させてしまう危険がある。
だから政府がおっしゃっていることは、もっともなことで私たちはできる限りリスクの高いところへは近づかぬが良いでしょう。

けれどもどんなに気をつけていても、通勤しないわけにはいかないし、食事の買い物に行かないわけにもいかないとなれば、バスや電車、タクシーにも乗るでしょうし、スーパーマーケットやデパートにも出かけるでしょう。

結局のところ、最後は自らの抵抗力を高めるしかないのだと、私は覚悟しています。
外出時には、マスク、手袋、バッグにはアルコール除菌シートを持ち、手洗いうがいを頻繁にして、後はよく寝てよく食べるを自らに課しています。
小さな頃、冬がきてインフルエンザの季節になると、学校の先生や両親からよく言われていたことです。
「しっかり食べて、よく寝なさい。
本やまんがをいつまでも読んでいないのよ?」
「本やまんが」のところだけ今風にすると、「スマホ」に置き換えればいいのでしょうか。

特効薬のない状態で、企業は社員の環境的なリスクを減らそうと努力してくれているようです。
社員側でできることは、抵抗力をあげながらの自衛ではないでしょうか。
マスクやアルコールはもちろん有効でしょうが、まず元気で抵抗力のある状態を維持することが先なのではと思うのです。
バランスよく食べて、しっかり休む。
こればかりは、本人の自覚がなければできません。
あまりにも素朴、昔気質過ぎて気恥ずかしいような言葉ですが、

「外をうろうろしないで早く帰ってきなさい。
好き嫌いしないで食べなさい。
早く寝なさい。」

誰かが言わないといけないのかなあと、最近思う事です。

「できない」言い訳はみっともない。

「このままでは現場は回りません。」
「こんなの無茶苦茶です。」

新しいことを始める時、必ずこんな声が上がります。
特に現場リーダーの立場にある人、たいていは現場の仕事のできる人たちから、上がる声。

人が足らない。
人の質が悪い。
ものが足りない。エトセトラエトセトラ

現場リーダーとは、マネージャーになる前の段階で、現場においてリーダーシップを発揮して、仕事を回してゆく人のこと。
リーダーシップとは、やる気にさせる影響力のこと。
現有戦力にいかに不満があろうとも、「できる方法」を考えて、上に調整をかけるのも仕事のうちです。

最近気づいたのですが、この「上へ調整する」ということを知らないリーダーさんもいるのではないかと。
だめだしはできても、できる方法を考えて、それをさせてほしいと調整する必要があるのだと、知らない人もいるんだなと思うのです。

経営層、管理者層、その下の現場リーダー層、一般社員。
職位による職責の違いを理解していなければ、自分が何をするべきかもぴんとこないもの。
上位階層が何を考えていて、どんな目標をもってどんな方針で何をしようとしているか。
それに自分たちは、どう貢献するか。
そのためには、具体的に何を目標にして、どんな方針をたてるか。
現場リーダー層になれば、そろそろこんな思考も必要です。

だめだしは、新橋の焼き鳥やさんあたりで盛大にやって、戦場たる職場では、ぜひぜひ「何をすべきか」「どうしたらできるか」を考えることにシフトできたら、日々の仕事も楽しくなるのではと思う事です。

ちょっと待って!それ、本当にクレーム?(4)

考えられる理由として、3つ考えられます。
経験不足
一次対応をするオペレータから二次対応をするリーダーまたはスーパーバイザ(コールセンタのマネージャー職)に上がったばかりで、二次対応の経験が不足していた。
研修は受講していたが、実践になると「クレーム」と構えてしまい、つい自分の言いたいことばかり言ってしまった。
研修をそもそも受講していない。

3つの理由のうち、3はおそらくどの企業でもないと思います。
1も、経験値が上がれば解決する問題なので良いとします。
2が、一番厄介な問題です。
2については、個人の資質に頼るところが大きいと、残念ながら思うからです。
お客様の感情に寄りそうことが上手な人は、お客様の微妙な間合いや沈黙、口調などから、お客様の感情を読み取ります。
これは経験によるところも大きいのですが、それだけではありません。
個人の資質によるところも大きいものだと思います。
だから本来は、できるだけこの資質のある人を、二次対応にまわしたいところですが、こういう資質のある人は、たいてい他の業務もできるので、さらに他のセクションへ転属されてしまうことが多いように見えます。
企業としては、なんとかして資質の乏しい人にも、お客様の感情を読み取り共感するセンスを身に着けてもらわなくてはならないわけです。
そこで研修、モニタリングによるコーチング等、電話受付をする部署においてはかなりの高頻度で行っていることでしょうが、なかなか思うようにいかないのが実態でしょう。
その原因の1番大きなものが、冒頭で書いた「クレーム=怒鳴られる=怖い」という図式が頭の中にあることだと考えます。
二次対応者の場合、電話を受ける(かける)場合の多くが、なにかしら問題があった場合の対応になるので、
「またクレームかよ。」
となるのは、わからないではありません。
そこで、明日からできる改善法として、これはいかがでしょうか。
「本当にクレームか?
もしかすると、確認だけとか、勘違いとかかもしれない。
よく確認しないとな。」
電話に出る前に、これを自分に言い聞かせるのです。
一呼吸おいて、そう自分に言い聞かせるだけで、心の余裕が違います。
もし仮に電話に出るなり怒鳴られたり、不機嫌だったりした場合は、自分が怒鳴られていると考えず、怒鳴られている対象を良い意味で突き放します。
そして、
「どんな感情がこの人を怒らせているのだろう?」
と考えると、冷静になれます。
怒りは二次感情であって、その底に一次感情である「不安」とか「悲しい」とか「悔しい」とかがあります。
そこを理解すれば、対応は楽です。
これはアンガーマネジメント的な発想です。
そしてさらにそうなった前提に、「正当な権利」を侵害されたという事実があるのかもしれません。
人の感情を読むことが上手な人の資質を、上のような理屈で習得するのです。
二次対応が苦手なリーダーやSV(スーパーバイザ)その他管理者の皆様、騙されたと思ってちょっと試してみてください。
「そのクレーム、本当にクレームですか?」

 

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ちょっと待って!それ、本当にクレーム?(3)

<前事例の問題点>
一次対応者の引継ぎ内容
一番最初に電話を受けた方(一次対応者)が、このリーダー(二次対応者)に何をどのように伝えたのかです。
一次受付の仕事は、ユーザーの氏名、折り返し電話番号、問合せ内容を、ただただ客観的に事実のみを伝えること、これに尽きます。
ここで「クレームみたいですよ。」とか「めんどくさい感じですよ。」とか、主観を加えると、二次対応者に嫌でもバイアスがかかります。
二次対応者の最初の対応姿勢
二次対応者は、引継ぎを受けた内容を簡単にお客様に説明した後、
「お客様のお問合せ内容は、この理解で正しいですか?」
等、確認をしてお客様側に納得してもらう必要があります。
これをすることで、引継ぎ内容にかかったバイアスを取り除くこと、聞き間違い等を修正することができます。
また同時に、お客様に反論(付け足し)の機会を与えるので、お客様の方に、一方的に話を進められたという不満が起こりません。
傾聴姿勢
ここからは、お客様に主に話していただき、お客様にとって何が問題なのかを明確にする必要があります。
上の例でいえば、お客様の「不安」を探り当てたら、話が早かったと思います。
「それはご不安でしたね。
そのような思いをおさせして、申し訳ありませんでした。」
一度は、相手の感情をうけとめ、肯定します。
その後、自社側のシステムの説明に入れば、お客様側の態度も違ったのではと思います。
よく聞く「Yes,But」の話法です。

おそらくこのリーダーさん(二次対応者)も、このような研修を受講していたはずです。でもできなかった。
これはどうしてでしょう。

 

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ちょっと待って!それ、本当にクレーム?(2)

そもそもクレームとは何かから、始めます。
商取引で、売買契約条項に違約があった場合、違約した相手に対して損害賠償請求を行うこと。
苦情。異議。
出典「デジタル大辞泉」(小学館)
俗に「クレーム対応」「クレームを言う」等の使い方をするのは、2の「苦情、異議」の方でしょう。
けれど苦情の前提に、言う側に1の「正当な権利の要求」という意識があることもあるのです。
(事例)
ある士業の事務所を経営しているユーザーW(男性)が、自分の不在時の電話受付を代行サービスの会社に依頼していました。
もし電話があれば、メールで内容を伝えてくれるというサービスです。
1年間使って、とても便利なサービスだったので、彼は満足して使っていました。
ところがある日のメールを見て、彼は少し不安になったのです。
「11:10
Y様あて
〇〇社〇〇様より
~~~~~の案件について、メールをくださいとのことでした。
申し伝えますと回答。」
気になったのはY様という、宛名でした。
Yという人物は、彼の事務所にはいません。
彼一人でやっている事務所だったからです。
〇〇社は彼の大事なクライアントです。
もし受付時に、「はい、Yでございますね。」と応対していたら困るなと思いました。
そこで受付代行の会社に、仔細を確認することにしました。
最初に電話に出た人に、ことの仔細を話すと
「担当者がおりませんので、おりかえしお電話します。」
といったん終わり。
30分後、実際に対応した人のリーダーらしき人から電話がありました。
いわく、
通話録音を聴いてみたが、その電話を受けた際に雑音が入って名前がはっきり聴き取れなかった。聴きとれた名前のまま、復唱した。相手もそれで何かいうわけではなかったので、無事に終了した。
まあ、こんなことをまくしたてたのだそうです。
一方的に自社側の状況説明から入ってこられたことに、彼は気分を悪くしましたが、一番気になることを聞きました。
「回線状態が悪かったり、いろいろ事情はその時々であるでしょうが、おそらくうちの事務所の代表者の僕の名前は、受け付ける方には知らせてあるんでしょう?
聴き取れなかったら、『もう一度おうかがいできますか?』とかは言わないのですか?」
そうすると、リーダーらしき男性はこう言ったそうです。
「それは別スクリプトなので、オプション料金をいただくようになります。」
リーダーさん、ちょっと残念な対応ですね。
平たく言えば、「あ~あ、やっちゃった。」という感じです。
この後、彼はなじみの営業担当に電話を替わってもらい、初めから話しなおしてようやく納得のゆく説明を受けたようです。
では、どこがまずかったのでしょうか。

 

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ちょっと待って!それ、本当にクレーム?(1)

役所や会社、個人商店等、どんなところに勤めても、最近では珍しくないのが「クレーム」です。
ほとんどの場合、サービス(商品も含む)に対する苦情(平たくいうと不平不満怒り)を指して使われる言葉です。

「あ~、朝からクレーム受けちゃったよ。」
「〇〇(関連会社)のやったことなのに、うちに言われてもね~。
しんどかったわ~。」

もっと生々しい声もありますが、それは書かないでおきます。
自主規制ということで。
一般的に言って、誰かに文句を言われることの好きな人はいません。
特に電話で受け付けをする場合、対面ではない応対という特殊な環境が加わるので、文句を言われる時に、「怒鳴られる」とか「詰問される」とかいうオプションがついたりもします。
どうやら人は、姿の見えない相手には強気に出やすいようです。
ご経験のない方もおいででしょうから、説明させていただきますね。
朝一番、初めての電話で、あるいはお昼休み明け一番の電話で、いきなり怒鳴られるところから仕事が始まったら、凹みますよー。
なんとか応対して終わらせた後も、しばらくは気分が沈んで、次の電話を受けるのが面倒になる(怖くなる)場合も、ままあります。
こんな経験を何度かすると、だんだんに「クレーム=怒鳴られる=怖い」という図式が頭の中に出来上がり、少しでも不穏な雰囲気を感じると、
「すわ、クレームか!?」
と構えるようになります。
疑心暗鬼ですね。
そう思うと、鬼(クレーム)でないものも、鬼(クレーム)に見える。
今回は、自分でそうだと決めつける「クレーム」もあるんじゃないですかという話を扱います。

 

 

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セルフモニタリングなき発信をする人(2)

自分の中にぶれない機軸を持つことは大切である。これは、前回扱ったとおりです。
けれどそれは、内心の問題です。
自分の心の中に確固たる価値観を持ち続けることは、生きやすく生きるために必要であると信じます。
けれど発信するとなると、ちょっと事情が変わってきます。
受信側の感情も配慮する必要があるからです。
人間が1人で生きているわけではない以上、どんな小さなコミュニティであったとしても、受信する側の人は確かに存在します。
そしてその人にはその人の、内心の機軸(確固たるものでなくとも)が存在し、それを踏みつけにされることに対して、良い感情を持たないのが普通です。
ですから内心の思いを発信する際には、それが特に相手の何か(容貌、言葉、価値観)を否定するものであるかを一瞬考えると、表現が変わってくるのではと思います。
例えば「太った?」なら、「あら、幸せなの?優しい顔つきになったね。」等。
「あんただって、あの時こう言ったよね。」
「あんただって、あの時こんなことをしたよね。」
「正直に自分の思いを口にしただけ」と言う人々は、それを突かれると、必ずこのように反論してきます。
ええ、そのとおりです。
誰しも完璧な人はいません。
けれどセルフモニタリング(受信側に配慮するために自己を客観視する)をしようと努力する気があるとないとでは大違い。
これまでどうだったかは関係ないのです。
気づいた時から、努力を始めれば良い。
そしてこの努力を始めると、セルフモニタリングのない発信者に対して、心の距離をおけるようになります。
セルフモニタリングなしの発信が許されるのは、幼児だけだからです。
相手が幼児だと感じたら、本物の幼児に対するように、大人への期待をしなくなります。
ぜひお試しください。

セルフモニタリングなき発信をする人(1)

前記事で、他者の評価に振り回されない自分を大切にしたいと書きました。
自己の価値基準を大切に、自分にとって〇か×か△か、ぶれない機軸を持ちましょうと、おおよそそんな内容です。
内心、言い換えれば「核」とでも言いましょうか、自分の中にある思いは、他者からの評価で揺らいでいては、生きにくい。
それは確かです。
けれど内心をそのまま発信するとなると、少し話が違ってくるのではないでしょうか。
今日は発信を伴う場合について、書いてみます。

「太ったね。」
「粉ふいてるみたいな顔に、色を塗りたくって。」
「髪がちりちりになってる。」
「頭悪いね。」
「気がきかないね。」
「垢ぬけない。」
「(食事を)おごる以外に、あの人になんの価値があるの?」
例えば、上のようなこと。
直接言われることはもちろん、他人のことだとしても聞かされて嬉しい人は、少ないのではないかと思う例をあげてみました。
こんなこと、口に出す人いるのかと思っていましたが、いるんですね(笑)。
そしてこう続くのです。
「だってほんとのことじゃない。」

「本当のこと」とは、その人の基準での正しいことです。
上の例でいえば「太った」だけは、体重やBMIや体脂肪率等の数値で客観的に証明できますが、それ以外は極めて主観的な評価でしょう。
それを「本当のことだから、言って何が悪い。」と発信されると、「本当のこと(本人が思っていること)だからと言って、口にして良いことではない。」と思っている人からすると、「あ~、痛いな。」とひいてしまいます。
先日親しい後輩と話していた中に出てきた言葉ですが、
「それを言ったら、みもふたもない。」
という類のこと。
けれど発信した当人はといえば、話している相手が困惑した態度をとっていても、「本当のことをはっきり言える私(俺)。表裏がなくていいだろう。」くらいに、さばさばとした表情で笑っていたりします。

次に、自慢話。または自己中心話。
誰かが
「アルゼンチンタンゴの夕べに誘われてね、行ってきたんだよ。
バンドネオンって初めて聴いたけど、いいもんだね。」
そう切り出した時に、
「ああ、タンゴなら私(俺)、先月横浜で聴いたよ。
世界的に有名なバンドネオンの奏者でさ…。」
例えばこのように、自分の話に持って行ってしまう人。

アルゼンチンタンゴなんて、自分の方があなたより知っている。
そして自分の聴いた演奏は、世界的に有名な奏者のものだ。
この2点を言いたいのだなと感じたら、切り出した側はそれで口をつぐんでしまうでしょう。
なんでも自分の方が上でなくては気が済まない。
俗にいう「マウンティング」体質の人。

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