安全帯はカッコいい!

 

高所作業における安全帯、通称胴綱(どうづな)の仕様が、変わりました。
2022年1月2日以降、旧規格の安全帯は使用不可になるので、高所作業を必要とする現場をもつ会社では、新規格の安全帯の着用研修(訓練)を展開しているようです。

新規格、フルハーネスと呼ばれる安全帯は、太ももや背中を全部支えてくれるパラシュート着用時のようなベルトです。
初めて画像を見た時、

「パラシュートみたい。」

と思いました。
従来のものに比べると、全身をがっちり支えてくれるので、安全性は格段に上がっています。
いますが…、おそらく装着は少し大変でしょう。
しばりがあちこちにあるというのは、安全である反面、手間はかかるもの。
従来型の安全帯に慣れている方々には、すこしばかり抵抗があるのではとお察しします。
けれどこれを着けていれば、落下事故の危険からより遠ざかるそうです。
命とひきかえですから、多少の手間は勘弁していただきたいところです。

それにしても、です。
会社員時代から感じていたことですが、こういう安全帯を着用して作業する方々の、なんと颯爽としてかっこいいことでしょうか。
手慣れた風に、ちゃちゃっと金具をつけて確認して、そして高所作業車や電柱に上ります。
下から見上げて、いつもほれぼれとしていたものでした。
旧規格の腰に巻き付けるタイプのものもかっこよかったのですが、今回のフルハーネスは、まるで宇宙飛行士か航空機(客用ではない)のパイロット、いやいや正直に本音で語りましょう。
ガンダムに出てくるモビルスーツのパイロットのようで、ますますかっこいい。
命を守る安全具に、こんなうわついたことを言って大変申し訳ありませんが、本心です。
日々作業に着用なさる方は、そんなこと考えたこともないでしょうが、はために見ると、あなた方はとてもとても颯爽としてかっこよいのです。
新規格安全帯、より安全に命を守ってくれるフルハーネスを、どうか面倒がらずに着用なさってください。
アムロレイかシャアアズナブルか、ララアスンか。
はためには、きっとそんな風に映っていますから。

 

心理的距離を縮める

 

コロナのせいにするのは情けないことですが、対面を前提とする研修は、次々と見送りになった2020年度でした。
国をあげて感染予防につとめている現在であれば、それは当然のことです。
オンラインへの切り替えは、時代の流れでしょう。
当社でもCiscoのWebexを導入して、オンライン研修開催の環境を整えました。

でも多分、それだけでは足りないのです。
オンライン研修に切り替える、それは技術的な、もっといえば道具を整えるだけの変化です。
それでは物理的に遠くなった距離を縮めることはできない。
そう思います。

人と人との距離を、オンラインであっても縮める。
これが2021年度のテーマです。
物理的に難しいのであれば、心理的に縮めるしかありません。
人がどんな時に、相手を身近に感じるか。
私がどんな時に、相手に親近感をおぼえるか。

「話をしっかり聞いてくれる人」

とは、共感が大事という傾聴の研修で、よく使われることですが、これ、マニュアル的な相槌をうたれると、少しカンの良い人ならすぐに気づきます。

「あ~、マニュアルだ。」

ではどんな聞き方なら、親近感をおぼえるか。
相手の環境を、理解しようと努力する姿勢があるか否かではないかと考えます。
相手の環境とは、ビジネスの世界においては、仕事の内容のこと。
すべてを理解できると思うのは、こんなに傲慢なことはありません。
けれど「なんとなく」とか「見当違いではない」とか、そのレベルには、近づけるのではと思います。

2021年度のテーマ「人と人との距離を縮める」を達成するために、ご贔屓くださる現在の顧客の業務内容を、さらに深く理解しようと考えています。
まずは手始めに、業界の方々がお持ちの資格を取得しようかと。
資格取得のために頑張る時間が、共通体験になればと思います。
合格出来たら、ここで資格名を書かせていただきますね。
サラリーマンであった頃、資格取得にはさほど熱心ではありませんでしたが、目的があると、違いますね。
モチベーション上げて、しばらく頑張ってみます。

ダイバーシティ(多様性)を考える

 

Diversity ダイバシティとは、多様性を意味します。
昨今では、多様な人材を積極的に活用しようとする考え方を指して使われることが多くなっているようです。

多様な人材として、よく挙げられるのがLGBTや女性です。
どんな性であるか、自認があるか等、その人の持つパーソナリティは、だれかとの扱いに差を設ける合理的な理由にはなりません。
当然のことなのですが、そう思わないのが普通であった時間が長かったので、いまだに多数派でない個性を持つ人々に対して、全くフラットであるとはいいがたいのではないでしょうか。

そもそも「普通じゃない」とは、良くないことなのでしょうか。
普通とは、長い時間をかけてできた習慣であり常識なのですが、例えば同性愛が過去タブーであったのは、宗教的な理由からであったようで、その宗教の信者数が多く教団に権威もあったので、そのような常識ができたのでしょうが、多数派がいつも必ず正しいと限らないのは、言うまでもありません。
ただ多数派の勢力はいつの時代も大きなもので、少数派は沈黙を守るしか、身を守る術がないのも事実です。
めんどうごとに巻き込まれぬために、多数派に逆らわず、ひっそりと生きてきた少数派は、いつの時代にもいたことでしょう。

たとえば「飲酒運転をしてはならない」とか「社内決裁はこの順序で」とか、社会生活に必要なルールに従うのは、どのようなパーソナリティをもっていても等しく課される義務です。
けれどプライベートのエリアでの優先順位についてや、考え方の傾向、キャリアや育ってきた環境、もろもろについて、多数派と同じでないことを陰に日向にあれこれ言うのは、いかがなものかと思います。
よく聞く言葉に

「彼は(彼女は)変わっているから。」

というのがあります。

変わっている=多数派ではないことが、さもさも悪いことのような口調で、その言葉は出されます。
たとえば病気で長く休学していた過去がある。
たとえば飲み会に参加しない。
たとえば持ち物にキャラクターものが多い。
たとえば未婚だけれど、子供がいる。
たとえば…。

みんな同じであるなんて、そもそもあり得ないことです。
多数派の中でも、細かな部分まで下がっていけば、多数派と小数派に分かれてゆくはずですし、つきつめれば皆、他人とは違う人になるはずだからです。
けれど私たちの多くは、自分が多数派であることに安心感を覚えるようです。

「この案について、賛成の人、手をあげてください。」

こういわれた時、すぐには手を挙げず、周りを見回してから手を挙げませんか。
みんなと同じだと安心する。
変に目立ちたくないと思うからでしょう。
目立てば…、いつもそうではないでしょうが、「出る杭は打たれる」という文化だからです。

そのくせ「個性を尊重し」などという言葉も、よく耳にします。
学校でも社会でも、よく聞きませんか。
本当に個性を尊重するのであれば、

「みんな、違って当たり前。」

そう思うことからです。
生活するのに必要な社会のルールや、仕事をするのに必要なルールを守っているのであれば、その先のこと(既婚か未婚か、子供があるかないか、性自認がどこにあるか等)について他人があれこれ言ったり、扱いに合理的ではない差を設けたりするのは、とても失礼なことだと思います。

ダイバーシティ社会を実現するためには、まず私たちの日ごろの生活の中にある多様性について、

「みんな違ってあたりまえ。」

自分の生活を乱されない限り、違いを当然のこととして受けとめられるようになることです。

「彼(彼女)、変わっているね。」

そういう言葉を聞いたら、

「そう?
普通じゃない。」

と言える社会になると良い。
そう思います。

チャンピオンの誇り

7月から支援に入らせていただいた企業のコールセンタ、インバウンド営業のコンクールにて、代表選手ペア2名が見事優勝!!
知らせを受けた時には、エレベータの中だったのですが、

「うわ!
やった!!!」

と声が出てしまいました。
そのくらい、嬉しかった。

予選、決勝と勝ち抜いた選手2名の方の地力と努力の結果に、心からお祝いを申し上げます。
おめでとうございます。
本当に良かった。
こんなに嬉しかったのは、何年ぶりでしょうか。

さて、優勝の歓喜が過ぎた後、次にくるのはチャンピオンの責任です。
「コンクールで勝った」、これで地力は客観的に評価されたことになります。
けれど営業系企業なら、その地力が数字、つまり売上に反映されてはじめて皆の尊敬を集めることになるのではないでしょうか。

ほら、こんな憎まれ口、聞いたことありませんか?

「あいつは試験だけはできるからなあ。
実技(実務)は、まるでだめなくせに。」

「彼女はコンクールにだけは強いのよ。
でも実際の応対は、私の方が上。」

実務が上で、資格やコンクールが下のような言い方で、有資格者やコンクール入賞者にマウントする人々。
そんなことはありません。
実務のできる、できないは、売上数字のように客観的に出るものもありますが、主観的なものが多いのです。

「あいつは頼りになるなあ。」

「あの人は仕事が速いよね。」

こういう感覚的な評価も大事ですが、本人の自己評価と他人の評価が違う時、評価の基準を示すのが難しいものでもあります。
だから上の例で言うと、本人は

「彼女はコンクールにだけ強い。
実務は私の方が上。」

そう思っていても、何をもって上と言えるのか、非常に曖昧です。
でもコンクール優勝となれば、客観的な評価の結果と他人に示せます。
示せますが…。
そう言われるのは、なんとも腹立たしいですね。

話を戻します。
今回優勝した2名の方はもちろん、センター全体にも、チャンピオンへの羨望の視線が向けられます。
売上の数字においても、今まで以上に注視されるのではないでしょうか。
そうであれば、ぜひここはチャンピオンの誇りにかけて、よりよい成績をめざしていただきたいところです。
私が存じ上げているあのセンタの皆様なら、必ずできると信じています。
堂々たるチャンプの誕生を、心よりお祈り申し上げます。

Webミーティング活用法

弊社事務所のあるビルは、11階建ての古いマンションです。
広島市の中心部へも歩いて行ける便利の良い場所にあるため、建設当初から住まわれている方々も少なくない、そんな建物です。
管理会社へ管理を全部委託するのではなく、積極的に管理組合が関与しているので、古いわりには、メンテナンスの行き届いた快適な建物だと思います。

では何が問題なのか。
自分たちの財産(マンションの区分所有権)を維持管理するための活動が、コロナ対策が必要になった昨今、なかなか思うようにいかないことでしょう。

大きな企業であれば、あるいはIT化に馴染みやすい方々ばかりであれば、

「なんだ、そんなの。
Web会議にすればいいじゃん。」

といとも簡単に切り替えられるでしょう。

ご存じのように、Web会議自体は、たいして難しいものではありません。
無料のアプリを借りて、主催者が設定すれば、ほかの人々は参加するだけです。

けれど、企業でもなく、IT化に馴染みやすい人々ばかりではない一般の小さなコミュニティでは、家にパソコンがないとか、インターネット回線がないとか、スマホを持っていないとか、そもそもITに抵抗があるとかが、まだまだあるのです。
そうなると、小さな部屋に理事が集まって討議する、旧来のスタイルを変えるのはとても難しい。

当分は解決しそうにない問題だとは思いますが、個人的には、ネット環境(従量制ではない環境)がある理事だけでも、自宅から理事会に参加できれば、人の密度が小さくなるのではと思います。
管理会社が主催したWeb会議に、理事会を開催するメイン会場と、自宅数か所をつなげば、実現できるのではと。
もしそうなれば、身体の調子が思わしくない方も、参加できる。
良いと思うのですが、ご理解を得るのには、なかなかハードルが高いものだなあと思うこの頃です。

 

 

meetingは大切です

 

テレワーク推奨の昨今、対面でのミーティングは難しい場合もあるでしょう。
けれど対面でしか、伝えにくいこと、伝わりにくいことも確かにあります。
今日はそれを実感したので、対面でのミーティングの在り方について、扱うことにします。

遠隔ミーティングの良いところは、言うまでもなく、場所を問わずに開催できることです。
自宅にいようと、出張先にいようと、本社のミーティングに参加できます。
お得意様との打ち合わせもまた然り。

「今、大阪にいるんですよ。
戻りは明日になりますので、明日午後ではご都合いかがでしょうか。」

こんな文句で、お客様との打ち合わせを約束していたのが、

「わかりました。
今から10分後に、PCのある場所へ行きます。」

となります。
お客様が連絡してくださる時、顕在的潜在的ニーズがたかまっているそのタイミングを逃さず、タイムリーに打ち合わせに入ることができる。
これはとても優れた点だと思います。

けれど、初対面の場合、そうはいかないのではないでしょうか。
相手の顔はおろか、ひととなりのひとかけらも知らず、いきなり画面に現れる画像と電気的な声とを相手に、緊張せずに話せるものでしょうか。

「この人はどんな人?
信頼できる人なの?」

信頼できるか否か、用心深く話を進めることでしょう。

ところが対面で打ち合わせをした場合、相対するその人の表情、しぐさ、言葉の選び方で、ある程度は「信頼できる人」が直感的に判断できるような気がします。

空気と言っても良い雰囲気、それを感じることができるのは、生の、リアルの強み。
言語外のコミュニケーション媒体が、直感を刺激してくれるのです。

今日、ある企業様にお願いして、対面での打ち合わせをさせていただきました。
参加してくださった皆様との間に、言語外の媒体による「一緒に頑張りましょう」の合意ができたような気がします。
一度お目にかかっておけば、Webミーティングの方がタイムリーに問題を解決できる場合もあるでしょう。
お国の方針に否やを言っているわけではありませんが、初対面のご挨拶は、やはり対面の方が良いと思ったことでした。

カタカナ言葉を使うならTPOを考えて

 

昨日だったか、9月始業制について東京都知事が語った言葉に、

「来年にしますと、モメンタムをなくす。」

というのがありました。

小池百合子都知事にとって、モメンタムという言葉は彼女自身の語彙として、しごく当然のものなのでしょう。
けれどその言葉を聞いた時、違和感を覚えたのは、おそらく私だけではないだろうと思っていましたところ、やはり。
今日のワイドショーやら、ネットの記事等に、あまり好意的ではない扱われ方で出ていました。

要点は1つ。

「来年にしますと、勢いをなくす。」

これでは、どうしていけないのでしょうかということです。

 

ビジネスの世界でも同じようなことがあります。
よく聞く言葉を例に挙げます。

ミッション(使命)
ハンドリング(操作)
サマリー(要約、まとめ)
アジェンダ(議題)
アサイン(割り当て、任命)
アテンド(世話をする、介添えをする)
リスケ(予定を取り直す)

日本語で話せば、誰にでもわかるものを、あえて英語(しかも単語)にする。
それがある集団においての共通言語となっている場合、そうしなければコミュニケーションがとれませんから、従う必要があるでしょう。
言葉は符牒のようなもので、集団ごとにある程度の特殊性を持つと思うからです。
その集団に属する仲間であれば、共通言語を使わないわけにはいかないことでしょう。

けれども異なる共通言語を使う集団の中では、慎むべきです。
その集団に属する人々の、理解できる言葉で、語られるべきです。
言葉は自分の考えや思いを伝え、相手に理解してもらうために使うものだからです。

時々お目にかかるカタカナ言葉を乱発する人、それも相手や場所を選ばずに。
あまりかっこいいものではないと思うのです。
相手に自分の考えを理解してもらおうと思うより他の、何かしらの感情が透けて見えるような気がするからです。

テレワークのストレス

 

コロナウィルスの影響で、世の中大変なことになっていますね。
2月、この騒動が始まった頃、東京オリンピックも控えていることだし、国の威信にかけて3月末か遅くとも5月には、一連の騒動をおさめることだろうと思っていました。
楽観的に過ぎた予想でした。
オリンピックは延期され、今やウィルスは全世界で猛威を奮う。
外出の自粛が要請されて、仕事でさえテレワークを推奨される昨今です。

テレワーク、職場ではない場所(主に自宅)で、職場にいるのとほぼ同じ仕事をする形態。
VPN(仮想プライベートネットワーク)技術の向上により、物理的に離れた場所にいても、インターネット回線を通じて、安全で安心なセキュリティの下、社内LAN内で作業をしているかのような環境を得ることができるようになりました。
通勤ラッシュにもまれて、遠距離をはるばると職場に出かけなくても良いということは、近年政府が訴えている「働き方改革」の1つで、これ自体はとても良いものだと思います。

けれど自宅での仕事は、良いことばかりではありません。
私的空間に仕事を持ち込むのには、けじめとでもいうべき、しきりが必要です。
家族がいる場合、これはとても大事なことです。
例えば、9:00~17:30の勤務時間中は、たまたま自宅で作業をしているだけで、職場にいるのと同じように頭と心は仕事に向かっているのだから、その間他の作業のあてにはできないはずです。
この感覚を、家族に理解してもらわないと、

「自宅にいるのに、子供の面倒をみてくれない。」
「家事を手伝ってくれない。」

不満や愚痴を聞くはめになります。
子供がいる家庭では、仕事中にはけして近づかないようにとの躾も必要になるでしょう。
共働き家庭では、もっと困るでしょう。
休校になった子供が家庭に閉じ込められれば、退屈を持て余して愚図ったり、騒いだりもするでしょうし、言いつけを守らず外出してしまうことだってあるかもしれません。
仕事に集中していれば、外出に気づかずにいることだってあるでしょう。
子供の面倒をみながら、仕事に集中する。
なかなかに難しいことです。

本当は、テレワークの家族向け啓蒙マニュアルのようなものがあって、理解を深める準備期間をおいて、Goサインが出るのが望ましかったのでしょう。
それを今回のコロナ騒動で、いきなり始めたものだから、働き手も家族も困惑している。

急に始まった感のあるテレワーク、感染拡大防止のために必要なことですから受け容れるしかありませんが、おそらく多くの人に多大なストレスを与えていることと思います。
そこでとりあえずですが、明日からできるストレス軽減策をいくつかご提案いたします。

 

1.勤務時間内は、ベッドルーム等の個室に机を持ち込んで作業する。
ドアを閉ざし、できれば子供にもわかるように張り紙をする。
「しごとちゅう。じゃましないでね。」とか。

2.勤務時間とそれ以外の時間の切り替えを明確にする。
勤務時間が終わったら、家族の相手を積極的にする。
*いつまでもは無理なので、最初だけでも。
そうすれば、メリハリの習慣がつく。

3.できれば勤務中は、いつもと同じ服装にする。
「これを着ている時は仕事中」というサインになる。

4.共働き家庭で、子供が小さい場合(小学生)、1時間に1度は5分~10分程度、様子をみる。
幼い子供は、集中力の持続時間が短いので、長時間放置しておくと、子供の退屈や不安、好奇心の集中砲火を受けて、事態の鎮静化のため、多くの時間を必要とすることに。

5.配偶者や両親が家家を切り盛りしてくれる場合、1時間に1度程度、
「ありがとう。」とか「助かるよ。」と、お礼を言う。
職場でお茶を淹れてもらった時に言うように、仕事だと思って言う。

居心地の改善に、少しは役立つと思います。
お試しください。

非常時の新入社員研修

年度が変わり、令和2年度が始まりました。
桜は満開、いつもであれば、入学式に入社式、入庁式と、人生の節目のイベントで賑やかな頃です。
けれど憎らしいコロナウィルスのせいで、中止や規模の縮小のニュースを耳にします。
ハレの日を楽しみにしていらした方々のお気持ちを思うと、仕方のないこととはいえ、残念でお気の毒です。

さて、先の見えない現状で、頑張って新入社員を採用した企業の皆様、いつもであればなさるであろう研修、新入社員研修をどうしておいででしょうか。
おそらくウィルス感染予防のため、大人数での研修は控えておられるのでは。
少人数であれば、研修室に十分な広さと換気の確保、それにマスクとアルコール消毒の徹底という慎重さをもって、実施することはできるでしょう。
けれど大人数になったり、受講者の集合に県間移動を伴う場合、事態が落ち着くのを待とうと判断なさるのではないでしょうか。
けれどどんな事態でも、新入社員は今日から仕事を始めることに変わりはなく、知っておくべきことを伝える必要性は、いつもと同じです。
今日は、当座参考資料として使っていただける本を、ご紹介することにします。
総務、人事担当の方のお役に立てれば、幸いです。

「電話応対技能検定(もしもし検定)クイックマスター 電話応対〈第2版〉」
吉川 理恵子 (著), 公益財団法人 日本電信電話ユーザ協会 (監修)

上の本は、もともと電話応対技能検定のためのテキストです。
けれども、これがまた読みやすいのです。
受験勉強を思い出してください。
初級、中級、上級と、問題集を使い分けませんでしたか?
最初から、分厚くて小難しいことを並べられたら、やる気も失せるというものです。
どんな難関校を受験するにせよ、最初は基礎から始めます。
そしてその基礎を勉強する時の問題集こそ大切で、できるだけ薄くて易しいもので、全体を流せるものが望ましい。
新入社員に必要なビジネススキルも、これと同じです。

上でご紹介した本は、まず絵が多く、1ページの文字数が少ないので、
「げ!」
と思う抵抗感が少ないのです。
本当に初歩のビジネススキルのみですが、最初はそれでよいでしょう。
そして何よりも良いと思うところは、ほとんどの新入社員にとっての難関が電話対応ですが、そこに「使える」点です。
これまで友人や肉親、それに先生くらいとしか、電話で話さなかった人たちです。
いきなりビジネスシーンの対応に、なじめるわけはありません。
研修なしで実務につくと、先輩のやり方をまねするところから始めるのでしょうが、その前にスタンダードを知っておくほうが望ましいのです。
その電話対応についての記述は、さすが電話応対技能のためのテキストで、他に比べると詳しく書いてあります。

これを一冊、手元に置いておいて、できれば通読するように。
何か不安に思う事があれば、調べてみるように。

こう指示するだけでも、ずいぶん違います。
そしてこの非常事態が落ち着いてきた時、あらためて対面の研修を受講してもらえば、予習は済んでいるのですから、毎年行う研修より効果的かもしれません。

非常時には非常時の研修を。
ぜひお試しください。

 

コロナ騒動、トイレットペーパーの次は食料買いだめ

連日コロナ騒動の話題です。
東京都の小池知事が、今週末(3月28日、29日)の外出自粛要請を出しましたね。
そうなると早速、食料品の買いだめが始まったようです。
買いだめしないでくださいと、都知事もお願いしておいででしたが、良くないのだとは皆知っているんです。
けれど食べられないと困るから、買いだめしてしまう。
今日は、開き直りの大事さについて、扱うことにします。

 

テレビの映像を見て、びっくりです。
食料品を求めて、スーパーマーケットに押し掛ける人々。
東京に限らず、農業を主な業としていない地域に住んでいると、供給や物流がとまれば食料を手に入れることが難しくなります。
不安が不安を呼んで、買いだめに走るのは、自然な心理でしょう。
そういえば、似たような場面を、昔見たことがあります。
1993年の米不足時です。
当時東京に住んでいたのですが、スーパーマーケットはもちろん近所のコンビニでまで、米の袋やパンがなくなったのをよく覚えています。
あの時も今も、不安な心理が起こす行動は、変わらないのですね。

さあ、ここから本題です。
こんな不安の中での開き直りとは、どういうことか。
まず、今あるものを総ざらいしてみること。
計画的に1週間分の買い物をしている方もおありでしょうが、それでもいただきものやストック食品のまるでない家はないと思います。
たとえばパスタやそうめん、インスタントラーメン。
小麦粉、お米。
缶詰、乾物。
コンデンスミルクやスキンミルク。
レトルト食品のパック。
非常袋の中の保存食糧。
けっこうあるものです。
1週間やそこら、食いつなぐことができるくらいは、あるのではないでしょうか。

うちも自宅のストックをさらってみました。
パスタ、そうめん、乾麺(そば、うどん、ラーメン)、薄力粉、強力粉、ホットケーキミックス、麦にお米、以下略。
味が濃くて食べにくいと感じた、ビーフジャーキーの残りもあります。
これとジャガイモで、肉じゃがもどきができるはず。
なければないようにとは、母がよく言っていたことです。
「あるものでなんとかしなさい。
いちいち買い物に行かないの。」
昔、少女の頃には、けち臭いことをと反発したものですが、今となっては感謝しています。
ホントにそのとおりです。

今回の場合、政府筋から私たちに向けて、「正しい情報に基づく冷静な対応を」と呼びかけています。(TBS News)
それでも最近起こったトイレットペーパーの品薄のように、不安による買いだめで一時的にモノが不足することは考えられます。
そしてその不足が、首都圏だけでおさまらないことも。
けれどもし、モノが「ない」としたら、それは世の中全体がそうなのですから、どうしようもないことと、開き直ることも大事だと思います。
戦争や内乱でそうなったわけではないのですから、いつかは落ち着くはず。
不安にあおられて、人ごみの中に出て食料品を買いあさるより、いつかはよくなるさと、開き直ってあるものでなんとかする。
そうすれば本当に必要な人に、物資がまわるでしょう。
未曾有の非常時ですから、いつものとおりの食卓でなくとも仕方ない。
この際、デッドストック化していた食料品を活かすチャンスと考えて、料理検索サイト(例クックパッド)を活用してみてはいかがでしょうか。
開き直れば、気分は楽なものです。
今こそ、冷静に開き直りましょう!