「あの人はプライドが高いから。」とか、
「私、プライド高いんで。」とか、
日常会話でよく出てくる言葉「プライド」です。
この言葉を国語辞典(goo国語辞書)で引くと、
誇り、自尊心、自負心
と出てきます。
同じ言葉を、英和辞典(デジタル大辞苑 小学館)で引くと
自尊心,誇り と、ここまでは国語辞典と同じですが、追加で、
自慢(のたね),得意,満足;高慢,うぬぼれ;得意の姿
とあるんです。
そういえばと、思い出したのが、ジェーンオースティンの長編小説
Pride and Prejudice
これ、邦題は「高慢と偏見」でしたよね。
前振りが長くなりましたが、つまりプライドには2種あるということが言いたかったのです。
ひとつは、他人に何を言われようと、どんなに良い条件を出されようと、譲れない一線を守るとか、自分が自分であるために譲れない価値観というか、他人に向かって口にしたり見せびらかすことはせず(結果的に相手が感じたとしても)、自らの心に高く掲げるもの。
そんな自尊心。
もう一つは、根拠もない(主観的には根拠があるのかもしれないけれど)のに、「自分は他人より優れている」とか「自分は美人だが、他人はそうではない」とか、多様な価値観があってもそれを認めることはせず、自らの価値観のみをすばらしいものと訴え、「そんなものはくだらない」とか「だめだ」とか、他人に向かって口にしたり態度に出したりする「自惚れ」や「高慢」。
周りでいわれるプライドは、どうも後者のものが多いような気がします。
皆々、後者のプライドを、多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。
もちろん私自身も。
この後者のプライドの厄介なところは、「傷つきやすい」ことです。
他人に薄ら笑いを浮かべられたとか、鼻を鳴らされたとか、ぞんざいにあしらわれたとか。
他にはそうですね。
自分の意見を無視されたとか、自分の仕事を高く評価しないとか、社会に出るといろいろと、傷つくことが多いです。
で、そこで皆言うのです。
「あの人(例えば上司、友人等)は、他人のプライドを傷つけるよね。」
「自分がどれだけのものだと思ってるんだろう。」
「あの上から目線、むかつく。」
傷つくことが多いと、社会で生きていくのは苦しいです。
それが嫌だから皆、周りに悪く思われないように、昨今はやりの「コミュニケーションスキル」(コミュ力)を磨こうとするのではないでしょうか。