ちょっと待って!それ、本当にクレーム?(3)

<前事例の問題点>
一次対応者の引継ぎ内容
一番最初に電話を受けた方(一次対応者)が、このリーダー(二次対応者)に何をどのように伝えたのかです。
一次受付の仕事は、ユーザーの氏名、折り返し電話番号、問合せ内容を、ただただ客観的に事実のみを伝えること、これに尽きます。
ここで「クレームみたいですよ。」とか「めんどくさい感じですよ。」とか、主観を加えると、二次対応者に嫌でもバイアスがかかります。
二次対応者の最初の対応姿勢
二次対応者は、引継ぎを受けた内容を簡単にお客様に説明した後、
「お客様のお問合せ内容は、この理解で正しいですか?」
等、確認をしてお客様側に納得してもらう必要があります。
これをすることで、引継ぎ内容にかかったバイアスを取り除くこと、聞き間違い等を修正することができます。
また同時に、お客様に反論(付け足し)の機会を与えるので、お客様の方に、一方的に話を進められたという不満が起こりません。
傾聴姿勢
ここからは、お客様に主に話していただき、お客様にとって何が問題なのかを明確にする必要があります。
上の例でいえば、お客様の「不安」を探り当てたら、話が早かったと思います。
「それはご不安でしたね。
そのような思いをおさせして、申し訳ありませんでした。」
一度は、相手の感情をうけとめ、肯定します。
その後、自社側のシステムの説明に入れば、お客様側の態度も違ったのではと思います。
よく聞く「Yes,But」の話法です。

おそらくこのリーダーさん(二次対応者)も、このような研修を受講していたはずです。でもできなかった。
これはどうしてでしょう。

 

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ちょっと待って!それ、本当にクレーム?(2)

そもそもクレームとは何かから、始めます。
商取引で、売買契約条項に違約があった場合、違約した相手に対して損害賠償請求を行うこと。
苦情。異議。
出典「デジタル大辞泉」(小学館)
俗に「クレーム対応」「クレームを言う」等の使い方をするのは、2の「苦情、異議」の方でしょう。
けれど苦情の前提に、言う側に1の「正当な権利の要求」という意識があることもあるのです。
(事例)
ある士業の事務所を経営しているユーザーW(男性)が、自分の不在時の電話受付を代行サービスの会社に依頼していました。
もし電話があれば、メールで内容を伝えてくれるというサービスです。
1年間使って、とても便利なサービスだったので、彼は満足して使っていました。
ところがある日のメールを見て、彼は少し不安になったのです。
「11:10
Y様あて
〇〇社〇〇様より
~~~~~の案件について、メールをくださいとのことでした。
申し伝えますと回答。」
気になったのはY様という、宛名でした。
Yという人物は、彼の事務所にはいません。
彼一人でやっている事務所だったからです。
〇〇社は彼の大事なクライアントです。
もし受付時に、「はい、Yでございますね。」と応対していたら困るなと思いました。
そこで受付代行の会社に、仔細を確認することにしました。
最初に電話に出た人に、ことの仔細を話すと
「担当者がおりませんので、おりかえしお電話します。」
といったん終わり。
30分後、実際に対応した人のリーダーらしき人から電話がありました。
いわく、
通話録音を聴いてみたが、その電話を受けた際に雑音が入って名前がはっきり聴き取れなかった。聴きとれた名前のまま、復唱した。相手もそれで何かいうわけではなかったので、無事に終了した。
まあ、こんなことをまくしたてたのだそうです。
一方的に自社側の状況説明から入ってこられたことに、彼は気分を悪くしましたが、一番気になることを聞きました。
「回線状態が悪かったり、いろいろ事情はその時々であるでしょうが、おそらくうちの事務所の代表者の僕の名前は、受け付ける方には知らせてあるんでしょう?
聴き取れなかったら、『もう一度おうかがいできますか?』とかは言わないのですか?」
そうすると、リーダーらしき男性はこう言ったそうです。
「それは別スクリプトなので、オプション料金をいただくようになります。」
リーダーさん、ちょっと残念な対応ですね。
平たく言えば、「あ~あ、やっちゃった。」という感じです。
この後、彼はなじみの営業担当に電話を替わってもらい、初めから話しなおしてようやく納得のゆく説明を受けたようです。
では、どこがまずかったのでしょうか。

 

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ちょっと待って!それ、本当にクレーム?(1)

役所や会社、個人商店等、どんなところに勤めても、最近では珍しくないのが「クレーム」です。
ほとんどの場合、サービス(商品も含む)に対する苦情(平たくいうと不平不満怒り)を指して使われる言葉です。

「あ~、朝からクレーム受けちゃったよ。」
「〇〇(関連会社)のやったことなのに、うちに言われてもね~。
しんどかったわ~。」

もっと生々しい声もありますが、それは書かないでおきます。
自主規制ということで。
一般的に言って、誰かに文句を言われることの好きな人はいません。
特に電話で受け付けをする場合、対面ではない応対という特殊な環境が加わるので、文句を言われる時に、「怒鳴られる」とか「詰問される」とかいうオプションがついたりもします。
どうやら人は、姿の見えない相手には強気に出やすいようです。
ご経験のない方もおいででしょうから、説明させていただきますね。
朝一番、初めての電話で、あるいはお昼休み明け一番の電話で、いきなり怒鳴られるところから仕事が始まったら、凹みますよー。
なんとか応対して終わらせた後も、しばらくは気分が沈んで、次の電話を受けるのが面倒になる(怖くなる)場合も、ままあります。
こんな経験を何度かすると、だんだんに「クレーム=怒鳴られる=怖い」という図式が頭の中に出来上がり、少しでも不穏な雰囲気を感じると、
「すわ、クレームか!?」
と構えるようになります。
疑心暗鬼ですね。
そう思うと、鬼(クレーム)でないものも、鬼(クレーム)に見える。
今回は、自分でそうだと決めつける「クレーム」もあるんじゃないですかという話を扱います。

 

 

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セルフモニタリングなき発信をする人(2)

自分の中にぶれない機軸を持つことは大切である。これは、前回扱ったとおりです。
けれどそれは、内心の問題です。
自分の心の中に確固たる価値観を持ち続けることは、生きやすく生きるために必要であると信じます。
けれど発信するとなると、ちょっと事情が変わってきます。
受信側の感情も配慮する必要があるからです。
人間が1人で生きているわけではない以上、どんな小さなコミュニティであったとしても、受信する側の人は確かに存在します。
そしてその人にはその人の、内心の機軸(確固たるものでなくとも)が存在し、それを踏みつけにされることに対して、良い感情を持たないのが普通です。
ですから内心の思いを発信する際には、それが特に相手の何か(容貌、言葉、価値観)を否定するものであるかを一瞬考えると、表現が変わってくるのではと思います。
例えば「太った?」なら、「あら、幸せなの?優しい顔つきになったね。」等。
「あんただって、あの時こう言ったよね。」
「あんただって、あの時こんなことをしたよね。」
「正直に自分の思いを口にしただけ」と言う人々は、それを突かれると、必ずこのように反論してきます。
ええ、そのとおりです。
誰しも完璧な人はいません。
けれどセルフモニタリング(受信側に配慮するために自己を客観視する)をしようと努力する気があるとないとでは大違い。
これまでどうだったかは関係ないのです。
気づいた時から、努力を始めれば良い。
そしてこの努力を始めると、セルフモニタリングのない発信者に対して、心の距離をおけるようになります。
セルフモニタリングなしの発信が許されるのは、幼児だけだからです。
相手が幼児だと感じたら、本物の幼児に対するように、大人への期待をしなくなります。
ぜひお試しください。

セルフモニタリングなき発信をする人(1)

前記事で、他者の評価に振り回されない自分を大切にしたいと書きました。
自己の価値基準を大切に、自分にとって〇か×か△か、ぶれない機軸を持ちましょうと、おおよそそんな内容です。
内心、言い換えれば「核」とでも言いましょうか、自分の中にある思いは、他者からの評価で揺らいでいては、生きにくい。
それは確かです。
けれど内心をそのまま発信するとなると、少し話が違ってくるのではないでしょうか。
今日は発信を伴う場合について、書いてみます。

「太ったね。」
「粉ふいてるみたいな顔に、色を塗りたくって。」
「髪がちりちりになってる。」
「頭悪いね。」
「気がきかないね。」
「垢ぬけない。」
「(食事を)おごる以外に、あの人になんの価値があるの?」
例えば、上のようなこと。
直接言われることはもちろん、他人のことだとしても聞かされて嬉しい人は、少ないのではないかと思う例をあげてみました。
こんなこと、口に出す人いるのかと思っていましたが、いるんですね(笑)。
そしてこう続くのです。
「だってほんとのことじゃない。」

「本当のこと」とは、その人の基準での正しいことです。
上の例でいえば「太った」だけは、体重やBMIや体脂肪率等の数値で客観的に証明できますが、それ以外は極めて主観的な評価でしょう。
それを「本当のことだから、言って何が悪い。」と発信されると、「本当のこと(本人が思っていること)だからと言って、口にして良いことではない。」と思っている人からすると、「あ~、痛いな。」とひいてしまいます。
先日親しい後輩と話していた中に出てきた言葉ですが、
「それを言ったら、みもふたもない。」
という類のこと。
けれど発信した当人はといえば、話している相手が困惑した態度をとっていても、「本当のことをはっきり言える私(俺)。表裏がなくていいだろう。」くらいに、さばさばとした表情で笑っていたりします。

次に、自慢話。または自己中心話。
誰かが
「アルゼンチンタンゴの夕べに誘われてね、行ってきたんだよ。
バンドネオンって初めて聴いたけど、いいもんだね。」
そう切り出した時に、
「ああ、タンゴなら私(俺)、先月横浜で聴いたよ。
世界的に有名なバンドネオンの奏者でさ…。」
例えばこのように、自分の話に持って行ってしまう人。

アルゼンチンタンゴなんて、自分の方があなたより知っている。
そして自分の聴いた演奏は、世界的に有名な奏者のものだ。
この2点を言いたいのだなと感じたら、切り出した側はそれで口をつぐんでしまうでしょう。
なんでも自分の方が上でなくては気が済まない。
俗にいう「マウンティング」体質の人。

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Pride(2)

「周りに悪く思われないように」とは確かに大切なスキルです。
職場は仲良しクラブではなく、いろいろな人、価値観も年齢も異なる方々のコミュニティです。
「仕事をすること」を目的として集まったコミュニティなら、その仕事が円滑に運ぶよう、職場内で「悪く思われないスキル」は必要でしょう。
けれど、そこにいる人々は、親友ではないのですから、それぞれの「自惚れ」や「高慢」を理解する必要はありません。よく思っているからを理由に、「自惚れ」や「高慢」を喜んで肯定してくれるわけではないのです。
もちろん他人のそういう「自惚れ」「高慢」を上手に立てて、気持ちよく使ってくれる上司や同僚もいるでしょうが、それを全員に求めるのは無理というもの。

褒められないと不安になるとか、評価されないと不安になるとか、自分の自慢話ばかり聞かされるとうんざりするとか、よく耳にする話です。
私自身、そういう思いを抱いたことが、何度あることか。
けれど、ある日気づいたのです。
プライドの本来の意味について。
自尊心。
自分を尊ぶ心。
その評価基準は、自分の中にだけあるのではないのかということに。

他人を鏡にして、「えらく見える」とか「美しく見える」とか言っているから、その鏡が白雪姫の鏡のように、「おまえは醜い。白雪姫の足下にも及ばない。」とか言い出すと、途端に不安になるのです。
白雪姫の継母だって、白雪姫のお父様を射止めたくらいの妖しい美女だったのですから、そもそも白雪姫と比べる必要なんてなかったのです。
14歳の少女と、何が悲しくて張り合うのでしょうか
そもそも土俵が違うと思うのですが…。
あ、話がそれました。

つまり自尊心は、自らが評価者であり評価基準も自らの中にあるものですから、そのことを日々自分に言い聞かせ、よくできたと思えば自分をしっかり褒めてやり、だめだと思えば自分を叱りしていれば、他人に振り回されることなく、ずいぶん生きやすくなるのじゃないかと思うのです。
前述した困りもののプライド「自惚れ」や「高慢」も、自分による自分の評価が確立していて、他人から「綺麗だね」とか「立派だね」とか「すごいね」とかの賛辞を受けなくとも、あるいは「ぶすだね」とか「さえないね」とか「イタイよね。」とかのマイナスの言葉を浴びせかけられようと揺るがないのであれば、それは立派な「自尊心」ではないでしょうか。
もちろん独善的にならないように、他人の意見を聴くことも大切ですが、それはあくまでも参考意見であって、最終的に評価をくだすのは他人ではなく、自分です。
そうすると、仕事に手を抜いたり、身だしなみをさぼったり、そういうことが減るような気がします。
あの人がどう思うか、あの人に何を言われるかとか、そんなことのために身だしなみを整えるのは苦痛ですが、自分が納得する身だしなみを整えると決めると、鏡に向かうのが楽しくさえなるはずです。

自らを尊ぶ。
プライドを高く心に掲げて、生きやすく生きてみませんか。

Pride(1)

「あの人はプライドが高いから。」とか、
「私、プライド高いんで。」とか、
日常会話でよく出てくる言葉「プライド」です。

この言葉を国語辞典(goo国語辞書)で引くと、

誇り、自尊心、自負心

と出てきます。

同じ言葉を、英和辞典(デジタル大辞苑 小学館)で引くと

自尊心,誇り と、ここまでは国語辞典と同じですが、追加で、

自慢(のたね),得意,満足;高慢,うぬぼれ;得意の姿

とあるんです。

そういえばと、思い出したのが、ジェーンオースティンの長編小説
Pride and Prejudice
これ、邦題は「高慢と偏見」でしたよね。

前振りが長くなりましたが、つまりプライドには2種あるということが言いたかったのです。
ひとつは、他人に何を言われようと、どんなに良い条件を出されようと、譲れない一線を守るとか、自分が自分であるために譲れない価値観というか、他人に向かって口にしたり見せびらかすことはせず(結果的に相手が感じたとしても)、自らの心に高く掲げるもの。
そんな自尊心。

もう一つは、根拠もない(主観的には根拠があるのかもしれないけれど)のに、「自分は他人より優れている」とか「自分は美人だが、他人はそうではない」とか、多様な価値観があってもそれを認めることはせず、自らの価値観のみをすばらしいものと訴え、「そんなものはくだらない」とか「だめだ」とか、他人に向かって口にしたり態度に出したりする「自惚れ」や「高慢」。

周りでいわれるプライドは、どうも後者のものが多いような気がします。
皆々、後者のプライドを、多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。
もちろん私自身も。
この後者のプライドの厄介なところは、「傷つきやすい」ことです。
他人に薄ら笑いを浮かべられたとか、鼻を鳴らされたとか、ぞんざいにあしらわれたとか。
他にはそうですね。
自分の意見を無視されたとか、自分の仕事を高く評価しないとか、社会に出るといろいろと、傷つくことが多いです。
で、そこで皆言うのです。
「あの人(例えば上司、友人等)は、他人のプライドを傷つけるよね。」
「自分がどれだけのものだと思ってるんだろう。」
「あの上から目線、むかつく。」
傷つくことが多いと、社会で生きていくのは苦しいです。
それが嫌だから皆、周りに悪く思われないように、昨今はやりの「コミュニケーションスキル」(コミュ力)を磨こうとするのではないでしょうか。

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年長の部下に注意する

ある企業様にて、「コミュニケーション研修」に登壇してまいりました。
契約社員から正社員へ登用された方々と、新卒で正社員採用されて5年目の方々の混在メンバー対象です。
皆様に共通していたのは、技術系設備系の部署に所属なさっておいでで、年長の部下をお持ちであるということでした。

アンガーマネジメントによる叱り方から、部下のタイプ別の叱り方をご紹介した後、部下のお困りごと傾聴のRPGとDESC法(他人を傷つけず自分の言いたいことを伝える方法)による伝え方RPGを全員に演じていただきました。

他のメンバーの演じる様子を見て
「あ~、これ、俺には言えないわ。」とか
「なるほど…。うまい。」とか
それぞれに気づいた点も出てくる様子で、回を重ねるごとに演者の思いの伝わりやすい対応に変化していったのが印象的でした。

その前提として、他者を理解しようとする姿勢が大切であるという点をお伝えいたしました。
今回は60代の時代背景のみを扱いましたが、すべての年代について時代背景と傾向を考えることができれば、年長の部下だけでなく、どの年代の部下、あるいは上司とのコミュニケーションにも対応できると感じたことです。

 

さて、ここからは雑記。
この企業様の研修開催地は大阪なので、前日の打ち合わせを兼ねて、念の為前泊で臨みます。
宿泊はいつも同じ、駅直通の便利なホテルです。
大阪へ行くといつも食べたくなるおうどんを夕食に、朝はホテルのブレックファストで出陣(笑)いたします。
写真は夕食のこぶうどんです。


広島にもおうどんのおいしいお店はあるのですが、大阪でいつも思うのが
「たっぷり!大きい!」
ということです。
このお昆布の量、大きな梅干し!
朝食のバイキングでは、現在高値のグレープフルーツが惜しげもなく、並んでいましたから。
さすが食の街、大阪というところです。
いつ来ても気持ちの良い街です。
また近々伺う予定ですので、次はきつねうどんをいただきます!

年長の部下を持つ

企業様からのご依頼に、「年上の部下の扱い」に関するものが、ちらほらと目立つようになりました。
企業の職位は軍隊の階級と似たようなもので、上位者からの命令はCSRに反しない限り、
「Yes,Sir!」
であるはずです。
そうでなければ、組織が円滑に動かないからです。

旧き良き時代、年功序列で昇進がかなった時代なら、一部の方々を除いて、年長の部下を持つことは珍しかったかもしれません。
けれどバブル崩壊後、採用人数を控えていた企業が、いっせいに若手の採用を始めた今となっては、20代の中間管理職も珍しくないご時世になってきています。
一方、団塊の世代の方々。
定年に達しはしたものの、いまだ引退するほどの衰えをしらず、しゃきっとしておいでの方々は、企業にとって大事な戦力に違いないのです。
そのような方々が、定年後の契約社員(嘱託社員)となって企業にお勤めになれば、年長の部下を持つ20代、30代、40代、50代ができることになります。
それ以外にも、企業に勤める方々には今や多種多様の生き方があり、皆が上を目指す生き方をしているわけではなくなっていますから、ここでもまた年長の部下が生まれる可能性があるわけです。

冒頭申し上げたとおり、企業の職位は軍隊の階級と似たようなものですから、年少の上司であっても部下たるもの命令には服従しなければなりません。
そのくらいのことは、年長の部下もわかっているはずです。
それなのにどうして、企業の要望に「年長の部下に対する対応」が入るのでしょうか。
きっと、おそらく、なんらかのぎくしゃくしたものがあるからなのでしょう。

例えば言葉遣い。

A課長(35歳)

「え~、それどういう意味?
どうしてそんなことになるの?」

B係長(50歳)

「それはこういう事情だからです。」

確かにA課長は上位者です。
彼の価値観では、「職位は絶対のもの。年齢は関係ない。」となるのでしょう。
B係長が、同じ価値観であるのなら問題はないはずです。
けれどもし、B課長の価値観に「長幼の序」が入っていたら、A課長を快くは思わないのではないでしょうか。
上位者たるA課長に公然と逆らうことはできませんが、心中では「小生意気な」と反感を募らせているかもしれません。

上の例は、「長幼の序」というありがちの価値観でしたが、その他にも多様の価値観があります。
部下を持つ場合、それぞれの年代の標準的な価値観を知ると、その人を理解しやすいかもしれません。
年長者の場合、その方々の生きてこられた時代は、過去の歴史ですから、ウィキペディアか何かで調べれば、すぐにわかります。
そうすればその時代を生きた方々の傾向も、歴史を知らないでいるよりは理解しやすいのではないでしょうか。
その価値観に賛同する必要はありませんが、否定せずまずは認めて接すれば、そうは反感をもたれないはずです。

来月、ある企業様から依頼を受けた研修では、世代ごとの簡単な歴史をおさらいしようと考えています。
まずは「知ること」が、理解の始まりだと思うからです。
企業の定年延長が話題になることの多い現在、年長の部下を好ましい戦力にしてほしいと祈りながら、資料作りに励みます!

 

声、大事でしょう

googleの検索窓に「好感度」「女性」と入れると、「異性に好かれる好感度の高い女性になるために」とか、「好感度の高い女性の特徴」なんてページがヒットします。

仕事柄、好感度の作り方には興味があって、わりと頻繁にこのワードで検索しています。
「笑顔の素敵な人」、うん、まぁこれは昔から言われていることで、笑顔の作り方を教える人までいるくらい。
「悪口を言わない」、これもまぁ、よく言われることです。
私の前で誰かの悪口を言っている人は、誰かの前で私の悪口を言うのでしょう。
ビジネスの世界で、それは正しい。まったく正しいと思います。
ただね、悪口を言わない人がいつも良いかと言われると、首を傾げてしまいます。
心底が見えないというか、気を許せないというか、緊張してしまいませんか?
ごくごく近しい人との間では、多少の悪口を容認し合えたらいいなと、私は思います。
愚痴まじりの悪口、言いたい日だってあるでしょう。
いつもいつもじゃなければ、かえって人間臭くて、私は好きです。

さて、前振りが少し長くなりました。
この次に扱う「声」が、今日の記事のメインです。
google検索でヒットした記事の1つ、

「好感度の高い女性の特徴8個とそんな女性になってモテるためにやるべきこと7個!」(ジョシコン)

上に書いたことの他、
・ポジティブ思考
・誰にでも公平に
・裏表がない
・努力を惜しまない
・聴き上手
等があがっていました。
なるほど…と、興味深く読んだことです。
ですが、この記事の中に、声のことはありませんでした。
なんだか不思議です。
声、大事だと思うのですが。
こと私に関して言えば、「あ、いいなこの人!」と思う時、その方の声、話し方が好きだったりすることが多いのです。

その1例です。
今日の午後のこと、とあるうら若き女性が、うちの事務所を訪ねてくださいました。
20代の元気溌剌とした女性ですが、ストレート剛速球でぐいぐい押してくるわけではありません。
書類の記入をしている最中のこと、夫の生年月日欄でペンを止めた私に、
「あ、こちらが先ほどお預かりした免許証のコピーです。」
手元にコピーを差し出してくれます。
カンが良い。
記入している間、要所要所で誘導してくれるのですが、それもまたうるさくない。
とても気持ち良く記入できました。
そこで気づいた。
彼女の声が、気持ち良いのだと。
やや低いアルトが少しだけかすれていて、はきはきとしていながら、こちらのペースに合わせたゆったり感もあって、緩急の効いた、本当に落ち着く話し方でした。


声って、話し方って、本当に大事なんだ。
アナウンサーのような癖のない美しいしゃべりじゃなくとも、声優のようなかわいい声じゃなくとも、「好感度抜群!」となるんだと今更ながら感じたことです。